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『ペネロピ』感想・考察レビュー!豚の鼻を持つ名家の令嬢!王道ではないプリンセス・ストーリーの結末とは…

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邦題:ペネロピ
原題:Penelope
公開年及び国:イギリス・アメリカ(2006年)
上映時間:101分
監督:マーク・パランスキー

<キャスト>
ペネロピ・ウィルハーン(呪われたお嬢様):クリスティーナ・リッチ
ジョニー・マーティン(ペネロピを騙すギャンブラー):ジェームズ・マカヴォイ
フランクリン・ウィルハーン(ペネロピの父):リチャード・E・グラント
ジェシカ・ウィルハーン(ペネロピの母):キャサリン・オハラ
レモン(ペネロピを追う記者):ピーター・ディンクレイジ
エドワード・H・ヴァンダーマンJr(ペネロピを嫌う坊っちゃん):サイモン・ウッズ
ワンダ(婚活コンサルタント):ロニ・アンコーナ
アニー(ペネロピの親友):リース・ウィザースプーン

<概要> 
名家ウィルハーン家のお嬢様ペネロピは呪いのせいで生まれつき豚の鼻を持っている。解呪方法は「同じ階級の者から愛されること」。彼女を愛する両親は呪いを解くため必死に見合いをセッティングするも、外見のせいで尽く相手に逃げられてしまう。そんな状況にペネロピ自身も諦めかけていたが、ある日彼女の内面を愛してくれるマックスという男性が現れる……

<こんな人におすすめ>
・ヒロインが強くなっていくストーリーが好き
・親子関係に関する物語を見たい
・笑える場面がある映画が好き
・山あり谷ありの恋愛が観たい
・面白い設定が好き

<こんな人にはおすすめしない>
・考察できるような複雑なテーマであって欲しい
・ヒーローがだらしないのが嫌い
・アクションや戦いが観たい
・ご都合主義が好きじゃない
・ヒロインが美女でないと嫌

【個人的な評価】

ストーリー
★★★★★★☆☆☆☆

画面映え
★★★★★★★★★☆

ユニーク
★★★★★★★★☆☆

次々と波乱の予感が漲る展開は何回観ても飽きないほど。セットや衣装、演出へのこだわりも綿密でストーリーもいい意味で期待を裏切ることが多いです。ただ、ラブストーリー要素やエンディングが少し強引である感は否めません。

【ネットなどでのおおよその評判】

・衣装や部屋の美術セットが素敵
・ただの恋愛に終わらない自愛がテーマ
・役者が格好良い!可愛い!
・若い女の子に観て欲しい

・外見より中身というテーマが薄い
・呪いの解呪の解釈が納得いかない
・言うほど顔は酷くない
・ラブストーリー部分が微妙

こだわりの世界観とユニークな設定が好印象。役者に関する評価もかなり高かった印象です。しかし一方で肝心のペネロピの外見に関して「そんなに言うほどブサイクじゃないだろ!」という意見や物語の顛末に対して不満を感じる人もいます。

ペネロピは名家ウィルハーン家のお嬢様。裕福で優しい両親の元に生まれましたが鼻が生まれつき豚の鼻になるという呪いのため人目を避けており、屋敷の敷地外に出たことがありません。しかし、25歳でとうとう外界と接触することになります。

実は、呪いの解呪にはお見合いが必要だったのです。「同じ階級のセレブから愛される」ことができれば呪いは解け、「普通の女の子」に戻ることができます。

ところが彼女の顔のせいで見合いは次々破談。ペネロピ自身も諦めかけていたのですが、何故か彼女に興味を持ってくれるマックスという男性が現れました。ついに呪いが解けるかと思われましたが、実はマックスの素性はウィルハーン家のお嬢様の素顔をネタにしようとする新聞記者の回し者だったのです…

あらすじからしてファンタジー要素の強い映画なんですけれど、『ペネロピ』はとにかく演出とか情景の良さが印象に残ります…!ギャグに吹っ切るところはがっつり吹っ切って、幻想的なところはファンタスティックに仕上げてくるんですよね(人によって好き嫌いは出るかもしれない)

例えばペネロピは見合いを失敗しまくるんですけれど、相手の男が逃げ出す時に窓をぶち破って飛び出していくシーンですとか、マリッジコンサルタントの「お前、真剣に話聞いてないやろwww」っていう態度とか、お母さんがぶっ倒れるところとか、ギャグ要素は大げさなくらい派手なんですよ。

しかしその一方で、ペネロピ周辺の情景は精密なこだわりがすごいです。例えばペネロピが新しい世界に踏み出した時の美しさは幻想的。真っ昼間の都会の壮大な景色にお嬢様が迷い込んだのではなく、あえて夜中の公園のサーカスという夢の中のような情景であるのが美しいんです。これが観たくて何回も映画を観てしまうくらい。いきなり世界がガラッと変わるんじゃなくて、未知への憧れによって古巣の閉鎖空間から飛び出し、外の世界までたどり着くまでがグラデーションのように展開されるあの感じはやはり観ないと感じられない世界観と言えるでしょう。

それとインテリアのこだわりもすごいんですよ。一泊しかしないホテルの内装ですらめっちゃ可愛いんですよね。特にペネロピの周囲の世界観(自室など)はすごく丁寧に作られていまして、一つ一つのアイテム(地図、蝶や鳥、カラフルなインク瓶、本など)が彼女の性格や幼少期を反映しています。部屋はジオラマのように愛らしいんですが、でもそれは「彼女の創り出した世界」でしかない。外部に繋がるもの(外套、PC、電話、仕事鞄、テイクアウトのコーヒーなど)がないんでダルい生活感がないんですよ。これが25歳の部屋?!っていうなんとも言えない不思議さを感じます。

しかしその一方でアングラなところはしっかりアングラに描かれます。この世界観のトーンの切り替えがペネロピの幻想的な魅力を際立たせているんですよね。物語の主人公はペネロピですが裏ではマックスの物語も進行していまして、2人の対比構造が視覚的にパッと入り込んでくるんです。情景の繊細な鮮やかさ、空虚な物寂しさが人物の生き方や性格にリンクするので、観ている側が人物の印象をより感覚的に感じるというのがものすごく分かりやすく、まずこの映画においてはそれが第1の見どころだと思います!

ペネロピを過保護に守り続けるお母さんは、ペネロピにとって「成長のため振り切るべき障害」なんですが…面白いことにお母さんは意地悪な継母とかライバルの女性ではなく一貫してペネロピの味方なんですよね。そんな2人の関係性も大きな見どころです。

お母さんの過保護がペネロピの成長を阻害してしまう

ペネロピのストーリーで面白いのは、ペネロピが25歳になるまで目に見えて分かりやすい外敵みたいなのがいなかったことです。外見の悪い主人公だと幼少期に虐められたとか、家族に冷たくされたとか、そういうのがトラウマとしてあったりするじゃないですか。ところがペネロピはずーっと家の中で守られていて、両親も優しくてお金持ちなんです…!

しかし、それで何も問題がなかったかというとそうではありませんでした。分かりやすく一言で言うと、母親の美的感覚が娘の生き方に大きな影響を与えてしまいました。

まず母親は娘のことを愛しています。ペネロピが豚の鼻だったからといって見捨てたりなんてしていないんですよ。「娘が豚鼻なんて!」ではなく「この子がかわいそう!」と思い、娘のためには何でもしてきました。実はこれがペネロピの少女時代の明暗を分けたっぽいです。

お母さんは美人で自分の人生に満足していたからこそ、娘に自分と違うところ(自分だったらショックで落ち込むようなこと)があるのをかわいそうと思ってしまったんでしょう。この「かわいそう」という感情がペネロピの豚鼻の受け入れを邪魔してしまいました。「醜い!」とかじゃなくて「自分だったら耐えられない!」なんです。

そんなお母さんはペネロピのために「豚」というものを生活から締め出します。ベーコンを朝食に出さないとかね。でも実はこれ、娘のことを豚だと思っているから出る行動なんですよ。豚って思ってなかったら豚というものに過剰反応しないじゃないですか…!

実は観ている我々も「豚鼻」と提示されているからその認識で見ていますけれど、レビューとかでもたまに見かける通りペネロピはいうほど豚じゃないです。これはメイクさんが最も醜い豚の鼻からどんどん軟化させていって観客に受け入れられるところまで調整した結果だそうですね。監督も「なんか言われてみれば豚やな」くらいにしたかったという意図があったようです。

さてお母さんの口癖は「その鼻は本当のあなたの鼻ではないの、呪いを受けたお祖父様の鼻なのよ。あなたは生まれ変わるのを待っているのよ!」なんですが、本当のあなたも何も、ペネロピからしたら豚の鼻は自分の鼻なんです。母の愛情として「あなたのせいじゃない」と言いますが、つまりそれはペネロピの一部の否定になってしまいます!

そしてお母さんの言う「あなたは生まれ変わるのを待っている」というのは、今のペネロピは良くないものという示唆であると共に、不定の未来を信じて王子様を待つプリンセスになりなさいという教えでもあるんですよね。そもそもの話ですが、娘が豚というのを認められない=娘自身にもその価値観が継承されてしまい自分でそれを認めることができない、という結果になってしまうんです。

しかも良かれと思ってペネロピを隔離して育てたことで彼女が自分の外見の見られ方に慣れるチャンスやそんなもん気にしない友人を作るチャンスを失ってしまいました。ここまでは過保護な愛情ゆえにペネロピに不利益を与えてしまったという話なんですが、実はお母さんは物語の後半になるとちょっと別の性格が出てきます。

お母さんが異常なほど娘の外見に固執する本当の理由

お母さんはペネロピの外見に異常なほどの固執を見せます。娘の外見を全然気にしていない父親と対称的なこの特徴が作中でも批判されているんですけれど、実は考察してみるとわりと納得できる理由だったりします…。

まずその異常さがかなり分かりやすく出てくるのが、ペネロピが家出した時です。その時にお母さんと1回電話が繋がるんですけど、お母さんはまず「誰かに見られた?!」と聞くんです。「大丈夫なの?!」ではないんですよね。誰かに見られる=娘の不幸だという考えが絶対的なんです。

ちなみにこの時、お母さんはペネロピが人目につくのを恐れて警察に情報を出そうとしませんでした。1回も外界に出たことない娘が行方不明って絶対危ないじゃないですか。そんな緊急事態なのに娘の外見を隠そうとするってちょっと優先順位がおかしいわけです。

しかも最終的にお母さんは、相手方が明らかに良くない男と知りつつも呪いを解くために結婚話を進めようとします。でもお母さんは「呪いが解けて外見がフツーになることこそ幸せ」だと思ってまして、今のペネロピ自身の幸せをちゃんと聞き取りしてくれないんです。というと酷い話ではあるんですが…実はお母さんの必死さには一理ある側面もあります。

ストーリー的に大体の人が予想できるとは思いますが、ペネロピは最終的に顔バレします。が、わりといい感じに過ごします(これはエンディングではないです!)。だからその時点で幸せになっているから呪いを解く必要もないじゃん、という感じにも見えるんですけれど……それでハッピーエンドではないというのも面白いところですね。お母さんはとあることをペネロピに言うんですよ。

「あなたをちやほやしてくれるのはただのファン。外国語に堪能でピアノが弾けるあなたが珍しいだけで、あなたのことを喋る豚だと思ってるのよ。でも彼は結婚したいって言ってる、フツーの生活が手に入るチャンスなのよ」

ペネロピはこれに納得してしまいました。きっと「友達」はそういう感じかも、という心当たりがあったんでしょう。そして有名な人気者になったにも関わらず、ペネロピに結婚を申し込む相手っていうのがホントに全然いないんです。ペネロピはさんざん「中身より顔」で苦しめられてきましたが、ここで「自分は誰かの友達にはなれるけど、恋人にはなれない」っていうのを感じてしまったんでしょうね。

この「結局はみんな中身より顔」っていうペネロピの心の一番深い闇ですが、実はこれを理解してくれているのがお母さんだけなんですよ。お父さんは「外見なんて気にしなくていいよ!」と言ってくれるし、優しいし、実際そういう態度でペネロピが幼少から過ごしていたら幸せになったでしょうけれど、逆に言うと娘を苦しめるそれを理解することはできないんです。外見を気にするっていう価値観がないから。

ではお母さんはどうしてペネロピの外見や結婚に固執したのでしょうか。重要なのはペネロピの年齢じゃないかなと思っています。ペネロピは25歳で婚活を何年もしてきました。20年くらい前の映画なんで、今よりも結婚適齢期は若いと思います。だからこそ「婚活市場でまだ強いこの年代で何としても娘の外見をフツーにしてあげたい」と思っていたのかもしれません。ただでさえ婚活は年を取れば取るほど不利になります。娘と結婚してくれる男を探すには「若さ」っていう強いカードが手元にあるうちでなければならなかったんです。

しかもペネロピは「まず中身を愛してもらってから外見を披露する」というスタイルで婚活をしていました。つまり1回1回の見合いにすごく時間がかかります。そして外見が公になってしまうと「中身をまず愛してくれて外見を気にしない男を探す」という作戦ができなくなるんですよ。ペネロピは外見がヤバいって情報が出たら婚約者が来なくなってしまいますからね。実際、外見が公になった後に惚れてくれる男性は現れませんでした。だからこそ行方不明になった時ですらお母さんは「外見を見られるな!」と必死だった可能性があります。まあ普通は娘の身の安全の方が大事だと思うんですけれど…!

そしてお母さんは娘の中にある「結局はみんな中身よりも顔」という闇を見抜いていたからこそ、「あなたはフツーの可愛い顔になった方がいい」と思ったんだと思います。お父さんの言う「外見なんて気にしなくていいんだよ!」という生き方で友達はいっぱいできました。ですが、外見を隠さなくてもいい状況になってもプロポーズを申し込む男性は全然いません。で、これ将来的に周りの女友達とかは結婚していくわけじゃないですか……そうなった時にペネロピの顔面へのコンプレックスって増すだけだと思うんですよね。

だからこそお母さんは「自分の外見に自信を持つ幸せ」つまり自愛をすることが大切だと考えていたんじゃないかな。しかも結婚相手って失敗しても離婚できるけど、呪われた顔面ってまだ若さっていう武器がある今のうちでないと治せない可能性が高いんですよ。と考えると、お母さんはお母さんなりにペネロピのことを大事にしていたんだと思います。

ただ、劇中でお母さんの態度がちょっとなあ…というシーンもあるのでまとめますと、

①娘が行方不明なのに外見の秘匿を優先しようとする。
②お父さんから「娘が醜いから劇場に行くのやめただろ、他の楽しみも」と言われる。
 娘の外見と自分の外聞をリンクさせているので酷いけど、楽しみを諦めてまで娘と一緒にいたのは事実ではある。
③ウェディングドレスが似合わないと心配する娘に「そんなことないわよ」と言いつつ自分の髪を直している。呪いが解けた後の娘に対する期待感が出てしまっており、今の娘の不安を軽んじている。

なんか後半になってこの特徴が強く出てくるんですよね。お母さんの印象や言動が前半後半で結構誤差が出ますので、そこがちょっと微妙に感じるかもしれません。まあ母親としてリアリティはありそうだなとは思いましたが、お母さんに関しては全ての元凶とか悪役とか、そういう感じではない見方もあるということです。

ペネロピは有り体に言うと「外見より中身」がテーマです。自分のあるがままを愛して人生を楽しむ、みたいな話ですね。劣等感とか人目を気にして人生無駄にすんなよ!というよくあるテーマです。でも単純にそういう作りの話になっているかというと、そうでもない。フツーのシンデレラストーリーではないところが面白みです。

つまり「外見で虐められていた少女のところに、ある時外見なんて気にしない王子様が現れて…」という話じゃないんですよね。まず先述のとおりペネロピは虐められてない(何なら勝ち組の家庭)ですし、乗り越えるべき障害が母親の言う「王子様を待ちなさい!」ですからね。

序盤でペネロピはヤケを起こして「この方が早いから」と見合い相手集団の前に姿を現し全員追い払ってしまいます。仲良くなっても顔を見られると逃げられる、という経験が積み重なった結果「人はどうせ顔で判断しているから時間を掛けて仲良くしても意味ない」という思考を持っていました。

そんなに時に現れた王子様(に該当するもの)がマックスです。初対面で窃盗やらかすとかいう王子様とはかけ離れたとんでもない奴なんですけれど、コイツを見かけた時にペネロピは「金目当てなら結婚する奴がいるかも、それで釣るしかないのが運命かも」と思ってしまいました。

つまり「金とか顔で勝負→負けたから中身の良さに気づく」とか「顔は悪いけど中身は優しい子→それに唯一気付く王子様が現れる」みたいなラブストーリーじゃなくて、ペネロピは既に「中身で勝負→顔で負けてしまい、金というルートを思いつく」なんですよね。古典的なストーリーとは全然真逆です。マックスに「結婚したら呪いが解ける、もし解けなかったら死ぬわ」と言うのもおそらく、死んだら彼女の遺産が入るという意味だと思います。

マックスとの恋が進んだ時の反応も実はセオリーとは真逆!「ずっと引きこもっていたけど、王子様に会いたい」ではなく「平気で外に出ようとするタイプのはずなのにデートを断る」んですね。今までの見合い相手って嫌われても良かったから姿を見せていたけれど、嫌われたくないから姿が見せられなくなる……というのも味わい深いところです。

そして物語が進みますと、ペネロピの顔面が公になります。でもそれで大した騒動が起きたわけではありません。顔面が公になること自体は誰もが予想できる展開ですが、エンディングでもなければ大ハプニングのトラブルでもないんです!そこも結構セオリーから外れてますよね。

こうなったらもうハッピーエンドでいいだろって感じですが、それで終わらなかったんですよね。まだ豚の鼻がもたらす呪いっていうのがあって、鼻のパターンが2種類あることでデメリットが発生してしまうんです。一般的な人間は鼻って1パターンしかないんですけれど、ペネロピはそれぞれがもたらすものをおそらく知っていました。

フツーの鼻に戻ったら……
自分の鼻を含めて自分の価値を認めたいのに、フツーに戻ってしまえばそれを認めた意味がなくなる。また、鼻がフツーであればペネロピは有名人でお金持ちの多才な美人。誰でも寄ってくるので「中身を愛してくれる人」がもっと分からなくなる。

豚の鼻のままだったら……
自分の外見を受容したことで友人がたくさんできて楽しい人生を手に入れたが、恋人はほぼ確定で手に入らない。「もし豚の鼻でなければ……」という考えが一生つきまとう可能性があり、フツーの鼻だったルートの自分と比較してしまう。

ペネロピの鼻のことは誰も気にしてないよ!(豚鼻は悪の象徴ではない)という展開だからこそ、彼女はどうしたらいいのか、どうすべきだったのかという1つの疑問が観る人に投げかけられるんですよね。この結果に関しては「感想」のところで書いてしまっているので、一応ワンクッション置くけどネタバレに関してはご注意ください!

主人公はペネロピなんですけれど、一応ラブストーリー要素があるということで彼氏候補というのが2人ほど出てきます。味方側がマックス、敵側がエドワードですね。ちなみに先に述べますと(映画の開幕すぐ分かりますが)、2人とも白馬の王子様タイプではないです。むしろそれどころか欠点のようなものを抱えた男であるので、「ペネロピ」においては王子様に期待すると多分失望します!

善意だけは本物!等身大の男、マックス

マックスは一応味方側の彼氏候補です。ところが彼は王子様どころかド底辺みたいな男です。序盤で窃盗や嘘をつくなどの品の無さが出てしまっている上、職がギャンブラーなので魅力的に思うのがなかなか難しいところ。ただ、彼の善意だけは本物です。というのと、ペネロピのことは本当に愛していました。

彼はペネロピの前で楽器演奏するシーンがあるんですが、その時に流れる曲がジミー・デイヴィスのYou Are My Sunshineです。これ結構有名な曲らしいんですけれど、歌詞としては以下のところまでが歌われます。

You are my sunshine, my only sunshine
(君は僕の太陽、僕の唯一の光)
You make me happy when skies are grey
(空が灰色の時でも僕を幸せにしてくれる)

とても前向きで楽しい歌に聞こえるんですけれど、実はこれ続きがあります。

You’ll never know, dear, how much I love you
(でもきっと君は知ることはないだろう、どれほど僕が君を愛しているか)
Please don’t take my sunshine away
(どうか僕の太陽を奪い去らないでくれ)

マックスは自分のことを(ペネロピの呪いを解くことができる)上流階級であると嘘をついています。そのため本当の自分がどういう男であるかというのを言えませんし、そもそもステータスとしてペネロピの呪いを解くことができないんですよね。つまりペネロピと結婚すれば彼女は呪いが解けず、呪いを解くには彼女は別の男と結婚しなければならないのです。だから彼女のためを思えば去るしかないんです。

と聞くと悲恋チックで燃え上がる恋愛をしそうな男に見えますけれど、実はこのマックス、ペネロピが家出して色々巻き込まれている間にもギャンブルばっかりして腐っているので魅力を感じにくいんですよ。そんで彼の努力って直接的にペネロピに影響しないんですよね…ペネロピへの愛情ゆえに取った行動も勿論あるんですけれど、彼女の未来のためというよりは彼女への贖罪のためです。魅力はないけど、その努力は1人の人間として等身大であり、善意と愛はあるという感じです。

ちなみにペネロピは先述の顔バレ含めて「ヤバい!」みたいな局面に2-3回ほど出くわしますが、マックスはどのストーリーにも加担してないです。これがちょっと残念に見えてしまう要因でもあると思います。だから恋愛要素があるとはいえど、マックスは王子様としては微妙なわけです。

でもこの物語はそもそも王子様を探すというストーリーではないので、別に問題はないんですよね。ただそれが初見では分かりづらいので、王子様の登場に期待してしまうと肩透かしをくらいます。

ペネロピとは対照的な呪われた存在、エドワード

ペネロピにことあるごとに危害を加えようとする悪役がエドワードです。何が何でもペネロピの株を落とさないと気が済まない、という彼は傍から見ていておかしいくらいにペネロピに固執しますが、その本質はペネロピへの憎しみではない可能性があります。

まず彼がどういう理由でペネロピに危害を加え始めたかなんですが、彼はそもそも見合い相手の1人でした。ところが誰も彼の話(ペネロピは化物のような顔面をしている)というのを信じず、遂には駆け込んだ新聞から逆に「エドワードは頭がおかしい!」と記事を書かれてしまったことで狂い始めます。

実は彼は他者評価にめちゃくちゃ依存しているタイプなんですね。躍起になってペネロピの素顔を晒そうとするのも「エドワードはおかしい」と新聞に書かれてしまったのを挽回するためです。つまり自分の尊厳のためにはなんとしても「自分が間違っていない」を証明しないと気が済まないわけです。

行動がエスカレートしてくるエドワードに対し、父親は「お前のせいで恥ずかしい」と怒りました。子供自身のミスとか悩みに対して何かするんじゃなくて、親の体面が先にくるという意味ではペネロピと似ているとも言えるかもしれません。ですがエドワードの父親の方が攻撃的で愛情は少ないです。

外見がヤバいと思われているペネロピと、内面がヤバいと思われているエドワード。両者は対照的な存在でしたが、行動の方向性も全く異なりました。ペネロピは「もうヤバいと思われていい」と思って公に出ます。一方、「ヤバいと思われたくない」エドワードは他人を傷付けてまで「自分はヤバくない!」と証明しようとしました。

そもそもの話、「頭おかしい」って新聞記事を書かれた時にエドワードはそれを世間全体の評価だと思って傷ついているだけなんですよね。実はエドワードがイカれているという新聞記事に対して何か言っている人というのはほぼ登場してないんです。「世間の全員にこう思われているに違いないんだ!」という自分の思考が自分を苦しめているのです。

新聞記事に書かれたことについてエドワードは深く傷つきましたが、一方でペネロピは傷つきつつも逆に利用しました。そして実際、ペネロピのことを大々的に嘲笑しまくる人が大量に発生するみたいな事態にはなりませんでした(多少はバカにする奴もいましたが)。つまり新聞記事が彼らにもたらすマイナスの影響って、少なくともエドワードが感じるレベルの悲惨さではないんです。

これ面白いのが、外見についてがっつり触れられる物語であるのに敵役のエドワードが「外見の綺麗な女の子しか認められない」みたいな敵じゃないんですよね。そういう個人の趣向の問題ではなく、自分が正しいと思われたいという執着から彼女に対する憎しみが生まれているんです。自分の評判が下げられた上、彼女はあの外見で世間で評判がいい…ということによる逆恨みです。

つまり外見ではなく外聞に呪われていたわけですね。エドワードは自分のことを呪われていると言いますが、呪われていると思ってしまうと自分に呪いをかけてしまいます。自分を不幸と思えば本当に不幸になってしまうんです。

ペネロピは今まで何回も観てますが、自分の中ではお気に入りの映画の1つですね!ラブストーリー要素を無理矢理に入れているのがちょっとアレではあるんですけれど、とにかく情景がいいのと、セオリーを外しつつも面白おかしいストーリーの波乱のテンポがいいんです。勿論、ちょっと微妙な点もありはするんですけれども…!

例えばたまーに雰囲気をぶち壊してしまうギャグパートが入ってしまったりとか(家族の感動シーンで入ってしまいました…)、これどういうことなんや?っていう謎の事柄があったりとか。特に魔女の正体についてはレビューなんかでも「どういうこと??」っていう意見を目にしましたね。あれは自分なりの解釈としては、ペネロピが娘や孫の生まれ変わりだったんじゃないかな?と個人的に思っています。つまり娘や孫の生まれ変わりを幸せにしたら許してやる的な話であれば、呪いの解呪や変装していた魔女の立ち位置に説明がつく気がします。

それと物語終盤で子供からの感想といった形で陳腐な意見が述べられるシーンがあるんですが、あれは自分も初見では「微妙やな…」と思いました。多分、映画の感想として予想されることを並べ立てたっぽいんだよな。ただ、ちょっとわざとらしくて好き嫌いがかなり出る演出です。自分もあんまり好きじゃないかも…

まあそういった細々した微妙なところはあるんですけれど、やっぱりこの映画は「お約束」みたいな話を破ってくれたところが好きですね。外見の悪い少女が主人公ですが、いじめられたことはなくて親も金持ちで優しい。白馬の王子様がくるかも…?と思わせて全然そんなはことない。そしてラストにくるだろと思っていた顔バレがエンディングではない。そういう意外性が重なり合ってたくさん楽しめます。

あと「そのままでいいんだよ」っていうお父さんが正義!っていう安直な話ではないところも興味深いんですよ。基本的に物語ではお母さんが悪者でお父さんが味方みたいに描かれているんですけれど、じゃあどうしてお父さんは呪いが解けなかったの?って話になるんですよね。

お父さんが呪いを解けなかったのは、自分の家の呪いのせいで妻子が苦しんでいるという後ろめたさがあったからかもしれません。自分の血筋のせいで苦しんでいるのに「いいじゃん!」とは言い辛いですよね…。あと先述のとおり「外見なんて気にしなくていいんだよ!」で友達はできましたが、結婚ができなかったのが一つの答えでしょう。

気長に待てばそういう男性も現れたかもしれませんが、娘が結婚できなくて独身になった場合のお父さんの対処って「子犬でも買ってあげよう」だったんです。お母さんは確かに押し付けがましいし「娘が可愛くなる!」ということに理想と期待を抱き過ぎていましたが、お父さんが最良かというとそうでもない。結論から言うと、お母さんは外面での自愛を、お父さんは内面での自愛をもたらそうとしてくれました。どっちかだけでは駄目なんでしょうね。

あと個人的にいいなと思ったのは、撃退された悪役エドワードにペネロピが手紙を送っているところです。「私がヤケを起こして登場せずに時間をかけてきちんと話をしていたら、お互いに生きづらい上流階級社会で頑張る友達になれたかもしれないのにね」という手紙なんですけれど、悪役を撃退して終わりとかではないんですよね。全ての登場人物にこれからも人生があるということが示唆されていて好きです。悪事を働いて撃退されて没落して終わり!みたいな話ではないんです。

ここ重要なネタバレになります!

ペネロピの鼻についてはレビューに色々な意見があるんですけれど、結局のところ呪いが解けたことで鼻によるデメリットはなくなりました。しかし、鼻によって作ったメリットもなくなります。つまり一切のバフもデバフもない一般的な状態にったということですね。自分はあれ良かったなあと思っています。

ペネロピという名声効果で好かれるヒーロー状態を勿体ないと思う意見とかもあるんですけれど、フツーに生きていくという選択こそ彼女の最適解っていうのに納得がいくんですよね。特別なヒーローでなくても自分のことを愛していけるというのがそもそもテーマの根幹でもあります。困難に打ち勝って逆にそれをある意味ブランドにもしましたが、それは呪いが作り出したファンタジーなんです。それを取っ払ってプレーンな状態(呪いがなかった場合の本来の姿)に戻ったというのが良い展開だったなと思います。

これがすごく分かりやすいのが、終盤でマックスとブランコしているペネロピの様子をレモンが写真に撮ろうとして止めるんですよ。ペネロピはフツーの生活に溶け込んでいます。つまり何者か(ハッピーエンドのお姫様や人気者のスター)になろうとしていたのではなく、何者でもなくなったんです。パパラッチが追いかける必要もない、そのへんにあるようなフツーの幸せを享受しているということですね。

ただ唯一残念に自分が感じたのは、ペネロピが彼のことをどうして好きだったのかが全然分かんないところですね。辛い時には全然力になってくれんかったし、初期でペネロピを手放さざるを得なかった理由は知ったけれども、そんなに好感度上がるだろうか…っていう。無理矢理ラブストーリー入れなくて良かったと思うけどなあ…!でもそれを踏まえても楽しい映画ですね!

『ペネロピ』はAmazonプライムでは観られません。

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