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『ダンサー・イン・ザ・ダーク』感想レビュー!何故賛否両論なの?胸糞といわれる聖母の物語

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映画情報

邦題:ダンサー・イン・ザ・ダーク
原題:Dancer in the Dark
公開年及び国:デンマーク(2000年)
上映時間:140分
監督:ラース・フォン・トリアー

<キャスト>
セルマ(主人公):ビョーク
ジーン(息子):ヴラディカ・コスティック
キャシー(セルマの親友):カトリーヌ・ドヌーブ
ビル(隣人):デビット・モース
リンダ(隣人の妻):カーラ・セイモア
ジェフ(セルマに想いを寄せる男):ピーター・ストーメア

<概要>
自ら障害を抱えながらもシングルマザーとして息子を育てるセルマ。周囲の人々からの理解と友情の中暮らしていたが、近頃の彼女はやたらとお金を稼ぎたがる。理由は、遺伝病で失明するであろう息子のためにお金を貯めるためだったが…

こんな人にはおすすめ!&おすすめしない!

<こんな人におすすめ>
・バッドエンドが見たい
・ミュージカルが好き
・主人公が無垢な映画が好き
・たくさんの解釈がある映画が好き

<こんな人にはおすすめしない>
・救いのないエンドが嫌
・主人公が行動的でないと嫌
・理不尽な展開が苦手
・ショッキングなシーンは駄目

評価

【個人的な評価】

ストーリー
★★★
☆☆☆☆☆☆☆

画面映え
★★

ユニーク
★★★★★★★

正直見る人をかなり選んでしまう映画です。「主人公がかわいそうだから悲しい」ではなく「主人公の無力さに不快感がある」がその本質だと思いますが、そんな中でも自分なりに正しいことをしようとする姿に聖母を重ねる視点があることも事実です。

【ネットなどでのおおよその評判】

・感動した
・幸せについて考えた
・同情してしまい心に残る

・鬱展開で救いがない
・主人公が無力すぎて苛つく
・ずっと落ちていくしかないストーリー

賛否両論に極端に分かれる映画です。好きな人は本当に好きな映画なんですが、ただの不幸重なりのバッドエンドではないところが広く受け入れられないのかもしれません。

あらすじ

セルマは外国からアメリカへやって来たシングルマザー。障害と目の病に苦しみながら、息子のために懸命に働いています。幸い、彼女の周囲の人はそんな境遇を理解してくれ、友情で支えてくれました。

ところが、遺伝病である息子の目の病を治すためにたくさんのお金を貯めていたところ、善良な彼女に悪意が次々と襲い掛かります。彼女の世界は遺伝病で失われていきますが、それでも誰にも奪われない喜びはいつだって彼女に幸せを教えてくれました。

そのショッキング過ぎる内容から、「二度と見たくない胸糞映画」と評されることもある一方で、高い評価をも得るこの映画。感動するストーリーなのに、どうしてこの映画に不快感を感じてしまう人がいるのでしょうか。


※先述のとおりこの映画は賛否両論で極端に好き嫌いが分かれます。自分は、嫌いな方でした。どうして嫌いだったのかを分析してみたレビューになりますので、あまりいいことを書けないことをご了承ください。


しんどい理由① ミュージカル映画なのに主人公にバフがかからない

主人公がミュージカルに憧れていて歌が好きというだけあり、把握した限りで8曲入ってます。日常音が音楽に聞こえ始め、やがてそれがリズムを取り、想像の中で周囲の人々と一緒に歌って踊り出すという流れになるのですが、そもそも歌自体が華やかさに欠ける歌なんです。

サビもよく分からず、一般的なミュージカル映画みたいに派手な盛り上がりもないんですが、これは「歌を終わらせたくない」というセルマのポリシーに準じた演出だと思います。
※セルマの歌は、好きな人はすごく好きらしいんですが、自分にはちょっと合いませんでした。

また、セルマは少女のような声をしているんですが、それにどこか薄気味悪さを感じたんです。これは別に中年女性が歌うのが悪いと言っているわけではなく、セルマにどことなく陰のある薄幸さを感じたんだと思います(勿論、歌自体は素晴らしいです! 有名な歌手の方らしいです)。

ミュージカルって歌い始めると、大抵歌っているプリンセスだのヒロインだのって可愛い感じに映ったり、美しい画面映えを意識した何かしらのバフが掛かるじゃないですか。一種のカッコよさというか。それが一切分からなかったんですよね…そして声だけが少女のようにきれいなので、それが逆に怖いんです。

外見や動作にバフがかからないのは視力を失ってきている表現の1つかもしれないんですが、フラッシュモブみたいに賑やかなのに、曲も盛り上がる感じではなく、しかも長いんですよね。時間配分は大体以下の通り。

始4分 失職4分 事件6分 警察2分 裁判3分 監獄3分 クライマックス9分 終2分

ミュージカル映画のメリーポピンズの挿入歌が平均2分3分、最も長い見せ場で7分です。曲が特に楽しい感じでもなく盛り上がりもサビもなく、この時間配分なんです…実は観てて結構しんどかったです。でもこれに関しては、自分が「ミュージカル映画だよ!」と聞いて映画を観ていたため、期待していた雰囲気と違ったと感じて勝手にがっかりしてしまっただけの可能性もあります。

ただ、一方でセルマの美しい歌声と独特の雰囲気をすごく気に入るという人も少なからずいるようです。つまり、刺さる人には刺さるけど万人受けする感じのミュージカルではないのだと思います。

しんどい理由② 一般的な人がおおよそ取らないであろう選択肢を取り続ける

この映画は始終落ちて行くだけの映画なんですが(それ自体は珍しくないです)、具体的には失明に起因して生きがいの喪失、失職、貧困といった問題がどんどんあらわになっていきます。それでも「周囲の人々や環境が意地悪で、その不運の中でも頑張って何かのために生きようとした」なら理不尽な展開に対する憎むべき相手や、称えるべき清らかな善人がはっきりしているんですけれど、「周囲の人々は優しくて理解があり協力的なのに、自分の選択次第で守れた未来を守れず死んでいく」んです。実はセルマは頑固で独善的な性格をしており、トラブルもそれに起因している一面があります。

例えば、親友のキャシー。彼女はセルマの病気を理解していて、友達のために必死になって行動してくれます。公共の場でどうみてもセルマが悪い場合でも庇ってくれたり、弁護士を探してくれたりするんです。

ところがセルマはピンチに陥った時、裁判中に現実逃避したり、悪人をかばって不利に陥ったり、キャシーがせっかく掴んだチャンスを捨てたりするんですね。息子の手術のためにはそうするしかなかったんですが、そこにちょっと疑問を感じてしまったんです(詳しくは感想の方で後述します)

主人公が無垢で無力で全く反撃も保身もしない結果バッドエンドという流れになるので、見ている人の中にはセルマに対して嫌な印象を抱く場合もあるんですよね。状況を覆せる機会もあるから猶更です。

さらに、セルマは死に直面すると拒絶するリアリティさがあるので、単に「聖母が自己犠牲で死んでいくのを見ている」という神聖さだけの映画ではないような気がするんです。それが次項に繋がってくるんですが、そもそも人によってはいい母親には見えない場合があるんですよね…

俯瞰して人物の死を見ることができる人ならともかく、主人公に感情移入するタイプの人は見ていてきつい可能性が高いです。しかもただの罪を背負った聖人ではなく、人間的な感情や恐怖や過失がある人物なんですよね。「自分とは明らかに違う完全なる聖人」の美しい自己犠牲とは違うんです。

これが見ていてイライラする、不快だと感じる人も結構いるんですが、でもそれはセルマに助かって欲しかったという感情の現れでもあると思います。

しんどい理由③ 子供との関係が希薄過ぎて独善的に見える

息子の未来のために自分の身を投げうつ母親という感動のストーリーですが、実はセルマ本人が子供と触れ合う描写が少なすぎる上、子供への愛情や絆が一方的です。息子ジーンは「お母さん大好き」みたいな感じに見えないんです。学校で問題を抱えているジーンに理由もきかずビンタして「勉強しなさい」と怒鳴るシーンがあるんですが、あれがすごく分かりやすいなと思います。

しかもジーンは途中からぱったり出てこなくなりますし、息子との面会も、息子への伝言もセルマは一切拒絶します。息子に対して独善的なところが目立つんです。

セルマ側から息子への愛情ははっきりと分かるんですけれど、息子から見た時にその母からの一方的な愛情ってほとんど認識できてないんじゃないでしょうか。キャシーはセルマに「息子に何かメッセージを」と再三言いますが、セルマは何もメッセージを残そうとしません。逆に、息子からのメッセージもないんですよ。息子もセルマも今生の別れなのに、お互いにメッセージがない状態なんです。

彼女の愛は、本当にジーン個人を愛しているのか疑問なんですよね。ちょっと言い方が複雑なんですが、「ジーン」を愛しているのか「息子」を愛しているのか、分からないんです。母親の義務として子供を守るという一般概念レベルに見える人がいてもおかしくないんです。彼女と子供の個人的な、素晴らしい絆の印象が見当たらないのです。だから子供への愛については映画を観ている人の感覚が試されます。

つまり「映画を観ている人がそもそも持っている子供への一般的な愛情」+「彼女から子供への一方的な愛情」でバッドエンドを見なければならないんです。「子供から母親への想いとか絆」がないんです。

だから人によっては彼女が神聖な聖母に見えづらくて、「子供の将来のために犠牲になる」というのが、ただ彼女を死に追いやるためのご都合主義のラベリングに見えてしまう気がしました。命を賭して守りたいという偉大な決意は分かるんですが、子供に対して愛情が一方通行で腑に落ちないんです。

しかも最初の裁判の時点で、息子のために生き残る努力よりも邪な隣人との約束を優先しているんですよね。救いがなくてがっかりではなく、主人公が独善的で、子供への愛より隣人の約束を取って状況を悪くしているんです。

そして何が1番ダークかというと、セルマとジーンの目の病気は遺伝病じゃないですか。遺伝病ということは、多分手術では次世代への影響まで治らないと思うんですよね…なら孫に遺伝するのが確定しているのに、「ジーンに孫を抱いて欲しい」とセルマは言うんです。またそこで2000ドルの苦労や病の苦しみが子孫に発生するんです。

病気の発現はセルマ個人のせいではありませんし、ジーンには当然子供を持つ幸せがあって然るべきですが、それは本当に彼が求めている幸せかどうかなんて分からないんです。ただ単に、セルマの希望でしかないんです。息子の意見は一切聞いてないんです。もっと言うと、自分の視力のために母親が犯罪者として死亡してしまい、天涯孤独になることをジーンが本当に望んでいるかどうかも、分からないんです。

勿論、子供が失明するよりは治る方がいいに決まっていますから、結果的にジーンがどう主張しようとあの展開にはなったと思います。ですが、ジーンの母親に対する愛情や感謝や憧れや尊敬みたいなものが全然分からないんで、セルマの想定する未来の幸せにジーンが納得しているか不明なんです。

おそらくセルマは自分の両親に対して「目を13歳までに治して欲しかった」という想いがあったんでしょう。ですが、その一方でセルマの両親は「赤ちゃんを抱きたかった」とセルマに思わせるような幸せな日常を長らく彼女に与えていた可能性があります。果たして、ジーンは将来「赤ちゃんを抱きたい」と思うような大人になるのか、セルマを見て、ジーンも親になりたいと思うのだろうか、と考えてしまうんですよね…

感想

大抵の人は、理不尽な世界に圧倒され追い詰められていきながらも、自分の命よりも息子の将来を守るために死んでいく美しいストーリーに涙していると思います。

個人的には、感動しませんでした。人間性が冷酷で本当に申し訳ないんですが、これ感動しなかった原因がはっきりしていて、「都合よすぎないか?」って1回感じたらそこから抜け出せなくなってしまったんですよね。そして1番あかんかったのが、色んな人が大絶賛するセルマの歌声が自分に合わなかったことだと思います…歌手の方は有名な方で、透き通った美しい歌声をしています。それは事実です。でもほんとに申し訳ないけれど、その歌声がなんか怖かった。歌詞と曲のせいかもしれませんが…

また、先述した「息子の手術のためには裁判を諦めるしかなかったということについて、疑問を感じてしまった」については、「本当にそうか?」が常につきまとうんですよね。13歳までに手術しなければならないというのは医者の診察ではなく、セルマの発言です。病気のことを本人が知ると悪化するというのも、セルマの独断です。それが展開に対して都合よく見えるんです。

また、手術代の2000ドルというのが、何とかできそうな金額に聞こえてしまったんですよね。キリスト教圏の方って、寄付をよくしていらっしゃるじゃないですか。周りの人に頼ったら2000ドルは集まったと思われる金額なんですよね(当時は何等かの事情で集まりにくいという背景があったのかもしれませんが)。でも、セルマは誰にも頼らず内緒にしていました。そこもまた、独善による失策に見えるんです。因みに日給30ドルの給金の67日分が手術代ですが、生まれてから13年間でその金額が貯められないってことあるのか…?という疑問も感じたんですよね。事件を起こした理由も曖昧で不明ですし、刑執行までがめっちゃ早い気がするんですよね。そこにご都合主義を感じてしまったんです。

不利な行動ばかりを取ることはおそらくなんらかの障害に起因している可能性があるんですが、もしこの映画が「親子感動物語」であるとしたら、その辻褄の合わなさを病気で帳尻合わせしようとしているストーリーに感じます。でも正直、これは別の物語なんじゃないか?と自分は感じていました。

「あの子に必要なのは母親」というキャシーに、セルマが「あの子に必要なのは目」と言うシーンがあります。セルマの一方的な愛情やジーンが感情を出すシーンの少なさから、これは親子愛の物語ではないと線引きされている気がしたんです。それ自体は斬新なアイデアで純粋に「すげえ!」と思うんですが、つまりそう考えると親子愛の物語として感動するのが無理になるんですね…

この映画自体、セルマの目線というのが強い映画である一方、実は子供の目線も感じることができます。観ている人たちはセルマに対して何もしてやれないわけですが、彼女に対して何もできないのは、実は息子のジーンなんです。母親に何かが起こっている、しかし彼は無力すぎて何もできません。状況も終盤にならないと把握できていないんですよね。

ほぼ一人称の視点の映画なのに、そこを感じられるというのはすごい映画だと思いました。しかも、息子の後々の感情としては母親への感謝だとか恋しさとかじゃなくて、多分憎しみとかも相当入ってるんだろうなというのが予測できるのがすごい。絶対、悲しく美しい思い出で終わらないと思う。

鬱映画って「頑張っても駄目」が多い中、この映画は「頑張ったらいけたのに」があるから余計にもやもやするのかもしれませんね。ネットでは自分の幸せを相対的に感じた、誤った行動をしないようにしようという意見がわりと散見されるんですが、これ監督は善人を賛美しているのか、善人を嘲笑しているのか分からないんですよね。そのミステリアスなところは魅力的です。

セルマは善良で人から愛され、独善的なところですら天使のように感じます。しかし、善人が環境のせいで救われないというのならまだしも、善人が失策して一方的な愛で自己犠牲という展開になるので、その不快感で人の脳が納得できずバグるんじゃないでしょうか。

ただ、周りの人が一生懸命助けようとしているほどの無垢な人間が、強い決意でみんなの手を振り払い、誰も届かないところに行ってしまうという神聖なストーリーにも関わらず、ラストのショッキングなシーンが幕切れという斬新なところは実は好きだったりします。

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