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『ジュリアン』感想レビュー!共同親権を巡る狂気のサスペンス…DV男の「理想の家庭」とは

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邦題:ジュリアン
原題:Jusqu’a la garde
公開年及び国:フランス(2019年)
上映時間:93分
監督:グザビエ・ルグラン

<キャスト>
ジュリアン(親権が争われている少年):トマ・ジオリア
ミリアム(母):レア・ドリュッケール
アントワーヌ(父):ドゥニ・メノーシェ
ジョゼフィーヌ(姉):マティルド・オネヴ
サミュエル(姉の彼氏):マチュー・サイカリ

<概要> 
11歳の少年ジュリアンの両親は、離婚協議で争っている。裁判官の判断は「共同親権で父親と子供を会わせるように」というものだったが、父アントワーヌはDV癖のある男だった。ジュリアンは必死に嘘をつき、家庭を守ろうとするが…

<こんな人におすすめ>
・物語にリアリティがある方が好き
・親子関係に関する物語を見たい
・社会問題に触れる映画を観たい
・波乱の展開が好き

<こんな人にはおすすめしない>
・ショッキングなシーンは駄目
・理不尽な展開が苦手
・全ての問題がエンディングまでに片付いて欲しい
・ハッピーエンドが好き

【個人的な評価】

ストーリー
★★★★★★★☆☆☆

画面映え
★★★★★★★★☆☆

ユニーク
★★★★★☆☆☆☆☆


展開自体はハートフルとはいきませんが、サスペンスとしても社会問題提起としても観ることができ、とにかく役者の演技の迫力が素晴らしいです。考察しないとよく分からない点があったりもしますが、逆に考察すると非常に興味深い闇を感じることができます。

【ネットでのおおよその評価】

・子役の演技力が素晴らしい
・迫力のある恐怖感がすごい
・どんどん狂気が見えてくる不穏さの演出


・最終的に姉がどうなったのかよく分からん
・母親側にも問題があったのでは?
・夫側の心境や事情がよく分からん
・見ていて痛ましくて辛い


悲痛な勇気と怯懦を強く感じさせるジュリアン役の演技はかなりの評判のようです。しかしストーリーに関しては姉の顛末がよく分からなかったり、この家庭の以前の状態を知った上で善悪判断したいという声も。

ベッソン家は現在、離婚協議中。特に、未成年ジュリアンの親権について揉めています。実は、妻ミリアムの「夫のDVが酷いので子供は渡せない」という主張と、夫のアントワーヌの「妻が子供に嘘を吹き込んでいる」という主張が激しく食い違うのです。どちらかが確実に嘘をついています。

結果、裁判所は夫側の意見を信用しました。アントワーヌは2週間に1回、息子のジュリアンと面会することができます。しかし、ミリアムを始めとした妻子の怯え方は尋常ではなく、ジュリアンは悲痛な表情で父親と会います。

次第に狂気的な執着を見せていくアントワーヌと、壊れていく家族。アントワーヌの目には、一体どのような家庭が映っていたのでしょうか。

※『ジュリアン』は離婚や家庭内暴力に関する映画です。役者の演技の迫力が秀逸である一方、トラウマのある方は観るのをおすすめしません。

この映画は冒頭15分くらいが離婚協議の場面に使われていることからも、がっつり「離婚」がテーマになっている話です。両親は当然お互いに敵対的ですが、子供たちもまた家庭の一大事に対して強い反応を示します。まず最初に言っておくと夫側アントワーヌはクロです(物語序盤で分かります)。

しかし姉ジョゼフイーヌも弟ジュリアンも、「父が怖い!」「父は嫌な奴!」みたいな単純な感情を持っているわけではないところにリアルさがあります。このリアルさが悲惨なんですよね…

ジュリアン

分かりやすいのはジュリアンの様子です。必死に嘘をついて母や家庭を守ろうとするんですが、この必死さが痛ましいほどで「ジュリアンを矢面に立たせるなんて酷い」みたいに感じる場合もあるかと思います。ですが、実はこれに関しては母親に嘘を言えと言われているシーンがなく、個人的には自発的に嘘をついているのではないかと思いました。彼が嘘をつく理由というのがチラッと出てくるんですよ。

「父が来ると母がいじめられ、爺ちゃんが怒り狂う。それが怖い」んですね。父親を拒絶する勇気とか母親を守る正義感とかじゃなくて、ただただ父と母が顔を合わせた時の暴力沙汰を恐れているんです。父の凶暴さだけではなく、母が殴られているところも怖いし、自分の味方であるはずの爺ちゃんが応戦するところも怖いんです。その子ども目線の感覚が現実的です。

最終的に父に住所バレしてしまいますが、ジュリアンは自分が母の平穏を売ってしまったこと、これから起こるであろう暴力沙汰など色んなものに対する感情が綯い交ぜになっためちゃくちゃ悲痛な表情をします。子供1人で防げるレベルの恐怖ではないというところが観ている大人にも伝わってくる迫真の演技なんですね。

また、家族の中で唯一殴られている記録がないジュリアンは、父親は自分と暮らしたがっている=自分には暴力をふるわないのではないかという祈りのような確信があったのかもしれません。だからこそ、嘘をついてリスクを背負うという行動に出た可能性はあります。

1回父親に追いかけられた時も結局車に戻ってきましたし、実際「殴られてはない」んですね。ただ、それ故に一線は超えないと信じていた父親がそれを超えてきた時の恐怖は計り知れないものがありました。彼が最も恐れて最も忌避していた「暴力」が最悪の形で目の前に現れることになります。

ジョゼフィーヌ

姉ジョゼフィーヌは親権に関わらないため、映画の中でイマイチ情報が出てきません。しかしほぼ成人であると判断された結果、みんなジュリアンを守ることに必死で彼女のことを気にかけてくれないという状況にあります。みんながいう「子供のために」は「ジュリアンのために」ということです。彼女はあるタイミングで「母は不公平」とも口にしています。

ですが、それ以前に彼女は母親に不満を抱いていた可能性があります。小学生の頃、父親からDVされた時にそれを大事にしないよう母親がなあなあで済ませたんですね。それ絶対覚えていると思うんですよ。そして自分が成人判定される年齢になってからやっと離婚ですから、内心姉弟で差をつけられていると思っていてもおかしくはないです。

※これに関しては、母親が精神的なDVも受けていて大事にできなかった、DVは別れを実行するまでに時間がかかることが多いのでたまたま姉が成人してからの離婚となった、養育義務のある子供が2人いると片方取られる可能性があるので姉の成人を待ったなど色んな理由はあると思います。

また、彼女の印象深いシーンといえば、彼氏と出ていってしまうところでしょう。おそらくですが、ジョゼフイーヌは妊娠していたようです。ですが、この家はボーイフレンドとデートをしただけでボコられるという家ですから(ボコったのは父親でしたが、母親は止めなかった上に当時は事実を隠しました)、そんな相談ができる家庭環境ではなさそうですし、そもそもこの家って今大変なことに巻き込まれているんですね。

ジョゼフィーヌの妊娠についてや駆け落ちについての説明が不足している、とたまに感想とかで見かけるんですけれど、これ多分説明不足じゃなくてああいう演出だと思います。家がそれどころじゃなくてジョゼフィーヌの一生に関わるような一大事ですら彼女自身で解決するしかないっていうところの現れなんじゃないでしょうか。

じゃあこれ根源の原因は何かっていうと、ジョゼフィーヌが小さい頃から男好きだったから自己責任という話ではないと思います。ボーイフレンドと学校をサボったということに対する教育が適切ではなく、「父に病院いくレベルの怪我を負わされた上、母にその事実を隠蔽された」という両親への信頼を失うものに終わってしまっているんですよね。それに対して反抗しての結果があれだったのかもしれません。

娘が遠方のボーイフレンドと駆け落ちするのは、自分なりの家から逃れる方法でしょう。実はジョゼフィーヌは弟や叔母、母とは特別に仲が悪いというわけではありません。しかし、恐ろしい父親が家庭を脅かし、干渉しています。妊娠のことは絶対バレるわけにはいきませんから、誰にも自身のことを相談できず、そこから逃れなければならない状況になってしまいました。

ですが、逆に言うと弟のジュリアンは友達などの外部の力を借りることは不可能で、逃げたくても逃げられません。子供達はだいぶ前にDV男と別居しているのに、それでも家庭や人生を壊されてしまうのです。

DV男であるアントワーヌですが、彼は別に妻子に暴力を振るうことで快感や支配感を得るみたいなタイプではありません。彼自身も自身の暴力的な性格傾向について悩んでいたみたいなんですよ。ところが、適切にそのメンタルのケアをしなかったのでしょう、映画開始時点でもう引き返せないほど家族関係が悪くなっている状況でした。

アントワーヌは自分がぶち壊した家族関係を取り戻そうと必死です。それが物語の中で一瞬の優しさに見えるんですけれど、実は家族に詫びて愛を取り戻したいのではなく、「父親」というポジションを取り戻そうとしているきらいがあります。

例えば最初にジュリアンが父親と会う土曜日なんですが、映画を観た後だとこのシーンにそれが詰まってたなあと思います。どういうシーンかというと、ジュリアンがお腹が痛いと言っている時に心配するんですね。一見優しい父親に見えるんですけれど、そもそもジュリアンは具合が悪いと言ったのに外に無理やり連れ出されているんです。「息子に大丈夫か?と聞く優しい父親像」のために外に引きずり出されてるんですよね。

父親として裁判所の判決どおり息子を妻の実家から連れ出さなければならない、息子に「大丈夫か」と声をかけなきゃならない、というのはアントワーヌ側の希望であって、ジュリアンは望んでないんですよ。本当にお腹が痛かったかどうか(仮病かどうか)は関係ないです。お腹が痛くて行けないって言う息子を「裁判所の命令だぞ」って言って連れ出したのが問題なんです。

本当に息子のことを想っているのなら今回は電話だけにするとか、どうしても一緒に居たいというのなら自分が妻側の実家に上がって看病してあげたらいいんですね。その方がよっぽど家族に対して株が上がります。

また、本気で共同親権でやっていきたいなら「息子は今どういう気持なのか、どうしてその発言をしたのか」を考えて向き合うべきですが、実はアントワーヌはこの初日の土曜日でまさかの息子の発言ガン無視とかいうこともしています。この時点でそれなりにヤバいんですけれど、1番異常さが際立つのはジュリアンの発言に対し、「これは元妻がジュリアンを操っている策略だ!」という判断をした時です。マジで子供の話を何も聞いてないんです。

「ジュリアンの予定については親が話し合うべきだ」というのは一見すると一理ありますが、ジュリアンは「姉のパーティーに行きたいから予定を変えて!」って言っただけなんですよね。「お母さんが言ってた!」とかは一切言ってないです。この状況になった時、「元妻がわざとジュリアンに交渉させているんだ!」ってなるのかというところなんですよね…

子供がそういう話をしてきたらまず「お母さんはOKって言ったの?」って普通聞きませんかね。また、フランスの子供は小さい頃から自立を教えられるそうなので「あなたとパパの過ごす時間なんだからあなたからお願いしなさい」と母親から言われていてもおかしくはないです。

そこで「母親が自分で相談してこないのはおかしい!」みたいに怒鳴るのは、ジュリアンの発言はジュリアンから発せられたものではないと思っている、つまりジュリアンを通して元妻を見ようとするあまり、子供個人の意見として聞いてないんです。

「これ多分、元妻が言わせてるよな~」とどんなに思っていても、子供から発せられた子供の言葉である以上、そこに元妻は挟むべきではありません。なのに子供をガン無視した上、子供の言動から元妻ミリアムが何を考えているのか、何をしようとしているのかを探ろうとしているんですよ。それが初日の土曜日で全部分かってしまうんですよね。

ミリアムはとにかくアントワーヌを自分の生活・家庭から締め出そうとします。連絡も拒絶するし、もしかすると殴られないであろうジュリアンを盾にしているという可能性も0ではありません(そうだとすると酷い母親ではありますが、連絡したら駄目って弁護士に言われてる可能性が高いとは思います…)。序盤でアントワーヌはとにかくミリアムに連絡を取ろうと必死ですが、それを冷たく拒絶されている姿はかわいそうに見えます。

でもそもそもの話、18年連れ添って子供が2人いる妻にその態度取られてるっていうのは確実にそれなりのことしてるんですよね。しかもアントワーヌは「父親」という枠に収まろうとはしていますが、子供に対して愛情があるように見えないんですよ。

子供を取り上げないで欲しいと主張するくせに、娘へのプレゼントにしろ、息子への恐喝にしろ、それを口実にミリアムと話したい、会いたいって感じにしか見えないんです。なんで元妻にこだわるのかは後述しますが、本当にこれから子供とうまくやっていきたいという主張ならまず怖がられているのを直そうとしないと駄目なんですよ。それすらせずひたすら元妻に会おうとする姿勢は異常です。

ですが、1番ヤバいのはアントワーヌは絶対謝らないことなんです。

後述しますが、アントワーヌは認知がだいぶ歪んでいる(他責がやたら強い)タイプの男です。ただ、自分が以前に家族に害を与えたことを分かっています。何故かと言うと、ミリアムを懐柔するチャンスがあった時に「俺はもう善人になったんだ!」って言うんですよ。じゃあ前に悪人だったの分かってるはずなんです。

ならばまずは心から謝ってやり直す姿勢を見せるべきなんですけれど、彼は謝るっていうのを一切しないんです。「君がいなくて寂しかった」とか「俺はもう善人になったんだ」とか、自分の感情のことばかり言うんですよね。

アントワーヌのヤバさは次第に激化していきますが、わりと序盤で「コイツ、ちょっとヤバいな…」というのが分かってきて、最後には究極のヤバさになっていきます。その狂気が進行していく様の恐ろしさも、この映画の見どころの1つでしょう。

離婚の協議で「子供を取り上げないで欲しい」「息子には自分が必要なはず」という主張をしたアントワーヌですが、子供好きには見えないもののこの主張自体はおそらく嘘ではありません。

アントワーヌが激怒する原因の1つが「妻には男がいるんだ」という思い込みです。序盤のうちに既にジュリアンに「男がいるのか」と聞いたりもしていますね。ですがまず大前提として、アントワーヌが嘘だと指摘したミリアムの主張(DVがある)は事実であり、ミリアムには同居しているような男もいません。

一応仲良さそうな男が一瞬出てはくるんですけれど、肉体関係は明言されていません。というかそもそも妻が本当に離婚前に浮気しているのであればそこを根拠にして賠償請求して親権取ればいいのに、協議で一切言ってないんですよ。証拠があるんなら完全に有利になるはずです。

※あと当たり前なんですけれど、本当に妻が浮気していたとしてもDVするのは論外です。男なら毅然として慰謝料を請求しましょう。DVしたら自分の方の分が悪くなるだけです。

ですが、アントワーヌは「男がいるかもしれない不道徳な妻」を家から追い出して子供や家庭を守ろうとしているのではないんですね。「男を家から追い出そうとしている」んですよ。離婚協議でのアントワーヌの主張は「息子を育てたいから、守りたいから」といったニュアンスでした。だったら男を追い出すよりも、破局していて不誠実な妻から子供を保護した方が絶対早いのに、そういう動きはしないんです。

これおそらくですが、父親(夫)というポジションが奪われることを恐れているんじゃないかと思います。執拗に男の影を追ったり、連絡ノートの父親欄が消されていたことに激怒したり、「あの男」と呼ばれていることに拗ねたりするのは、父親であることを否定されたためです。つまり「妻子のいる男」というステータスを奪われるのを嫌うんです。

自分の妻と子供を横から奪われる。妻や子供を作ったという実績が奪われる。自分がパパと呼ばれる権利や妻と仲良くする権利を奪われる。多分、ずっとそこに執着してるんですよね。子供が好きとかじゃなくて。

しかし、パパと呼ばれること、妻と仲良くおしゃべりしてもらえること、新居の住所を知ることは権利ではなくて努力の結果です。努力した結果その現象が発生するのであって、法的に共同親権がある、だから俺はよいパパとして扱われるべきだ!ではないんですよ…

よいパパというのは、本当によいパパだからそう扱われるんです。それだけの話なんです。アントワーヌは多分無意識のうちに「息子がいる間だけは父親という地位に落ち着ける、だから息子に側にいて欲しい」というスタンスを持っていますが、実はそれも初日の土曜日で分かります。

姉のバースデーパーティーの日が面会日にかぶるので週を交換して欲しいという話の時、アントワーヌは仕事だからと許可しませんでした。でも交換したらジュリアンは祖父母と過ごせます。協議の時に「父方の祖父母にも孫に会えなくなる損失が」と言ってたんですよ。だからアントワーヌ本人がいなくても、ジュリアンは祖父母と過ごせばいいはずなんです。

そうすればジュリアンは自分の親族のイベントに2週連続で参加できます。どっちも頻度の低い大きなイベントで、ジュリアンはアントワーヌ方の親族のイベント参加にも前向きでした。ですが、アントワーヌは明らかに誰も得しないのに「自分は仕事でジュリアンに会えないから週は交換しない」と決めました。

これ辛いのが、ジュリアンは初日の土曜日では祖父母の前で安心しているということもあるのか、結構ポジティブな雰囲気でアントワーヌに話しかけてくれてたんですね。祖父母との関係は悪くなく、親族のイベントにも出てくれようとしていました。

DVされたミリアムとジョゼフィーヌは絶対心を開くことはないでしょう、しかしジュリアンはワンチャン関係修復ができたかもしれない相手だったんです。ミリアムと再婚は無理でも、今後めちゃくちゃ時間をかけて過去を償い、心を改めていけば父子関係が継続できる可能性も0ではなかったと思います(ジュリアンは脅されて追いかけられた時にも近隣に助けを求めたり警察に通報したりしておらず、父が乗り込んでくる直前には母を殴らないようお願いしているところから、アントワーヌにはわずかながら善性があると信じようとしてくれていた唯一の相手でした)。でもそれをアントワーヌ自身が潰してしまったんです…

「家庭のある父親、夫というポジにつきたい」という強固な信念を捨てて「子供を愛情持って育てたい」という方向性に父性をシフトできていたら、もしかすると違う結果になっていたのかもしれません。

アントワーヌは他責的な性格があり、離婚のストレスから認知が歪んでいるように見受けられますが、あの考え方の根底はそこだけではないと思います。おそらくですが、アントワーヌの育ってきた家庭環境や18年間過ごしてきた家庭も関係している可能性があります。

妻に何を求めていたのかの根源

アントワーヌの実家は父親が相当力を持っているタイプの家庭でして、父親もアントワーヌ同様キレやすく、そして銃を所持しています。ですが、「父親が怒りやすいからアントワーヌにもキレやすさが遺伝している」みたいな話ではなく、母親にある程度起因するところがある気がするんですよね。別にアントワーヌの母親が悪いという話ではないです。

アントワーヌは元妻と子に「あの男」扱いをされ、父親・夫であることを否定されています。勿論そんなもん誰しも大ショックだとは思いますが、その後がまずかったんですよね。彼が見せた反応は幼稚に拗ねて「俺はどうせあの男なんだろ?」と問いかけ、とにかくミリアムに連絡を取ろうとすることでした。多分ですが、そこに妻と母を重ねていたように思います。

アントワーヌが実父と揉めて家を叩き出された時、実母は間に入ろうとしてくれました。おそらく今までもそうやって仲裁をやってきてくれたのでしょう。あの家庭では、家庭の揉め事を母親が緩衝していたんです。

つまり、しつこくミリアムと連絡を取ろうとしたのは「自分が父親として認められていない、家庭を失いそうである」という問題を妻(家庭の母親)になんとかしてもらおうとした可能性があります。結婚生活が長いのでミリアムは幾度も暴力に妥協した可能性が高く、話さえできれば何とか我慢してもらえたという実績もあったのでしょう。

「善人になったから!」「君がいなくて寂しいから!」→「だから許せ」というのは、分かりやすく言うと「自分がこんなに辛い思いをしているのだから許してほしい」という意味です。でもそれは妻に対してではなくお母さんに対してのような態度なんですね。

そういう性格だけならただのマザコンで済んだんですけれど、アントワーヌはそこに暴力衝動と歪んだ思い込みがあるため、ただの幼稚な男で終わることができませんでした。

明らかに認知が歪んでいるが…

アントワーヌは自身の非を認めたくないが故に認知が歪んでいるところがあります。1番分かりやすいのはミリアムの首を締めていたのを咎められた時に「冷静に話し合いをしていた」という明らかな嘘をつくところでしょう。端から見て完全におかしいんです。また彼が度々口にする「ママは嘘つきだ」という言葉ですが、劇中でミリアムが嘘をついたという事実はなく、どのようなことを嘘といっているのかも不明です。

アントワーヌは「とにかく話をしたい」とばかり言って内容は何も言わず、実際会えばミリアムに暴力をふるいました(そういうことが幾度もあるようで、ジュリアンはそれを恐れていました)。おそらく会った際にミリアムから気に食わないことを言われていると考えられ、そしてそれを「嘘つき」と言っています。

また、「パーティーに行けないのはママのせいだ」と、自分の大人気なさを「母親が悪い」という言葉にして子供に植え付けようともしました。ミリアムが自分のことを子供に悪く言っていると被害妄想しながら、自分がそれをしてるんですよね。

子供に嫌われているのは母親からの吹聴が原因ではなく、母親に暴力をふるう姿を見られていることが原因です。ミリアムが嘘つきで「父親を悪人と吹き込んでいる」とアントワーヌは主張しますが、実はアントワーヌ自身が嘘つきで母親を悪人だと吹き込んでいるんです。

この都合の悪いことを全部相手の悪意で済ませる認知の歪みは深刻です。

本当にジュリアンのことを心配して母親を悪く見ているのではなく(お母さんから傷付けられたりしなかったか等を一切聞いてないどころか、普段家でどんな感じで過ごしているのかすら聞いてない)、自己防衛のために言っているんです。全員が全員ではありませんが、DV男って自分の加虐性や忍耐力の低さを受容してもらおうとする傾向のある人いるんで、「ちょっと手が当たっただけじゃん」「相手が怒らせてきたことが原因だから自分は悪くない」「悪意はなかった」「大したことないのに相手が被害妄想だ」「その時偶然カッとなっただけ」って自己弁護するんですよ。

見ず知らずの女性や子供にしたら通報されるようなことは、妻や子供にもしてはいけません。ですが、「自分は父親(夫)である」というステータスがその境界を甘くしているんです。実際、アントワーヌは家庭の外(職場)では問題のない男であると認識されていました。つまり、他所の女性や子供には暴行したことがないんです。

始終暴力的であれば18年も一緒に居られない(病院などから露見する)と思いますので、アントワーヌにも父親らしい知識(娘にプレゼントを買う、息子に病院に行くか聞く等のアクションを知っていて行うことができる)があったのだと思いますが、その父性と過去の思い出が「父親であった、父親でいられた時期があった、自分は父親として失格ではない」という根拠にますます拍車をかけるので、より他責的に認知が歪んでしまうのだと思います。その結果「全部妻が悪いんだ!」に繋がってくるのです。

何かと「ありえない暴力男!」と非難されがち(時には「序盤の顔つきからしておかしかった」という偏見のすごい意見もあります)なアントワーヌですが、実は「彼の実家の家庭環境や実父との関係性が彼を悪くしてしまったのではないか」という意見も散見されます。

実父からの影響

アントワーヌの実父(ジュリアンの祖父)は孫と穏便に過ごそうとしていましたが、アントワーヌはどうやら昔から実父と折り合いが悪いようで大喧嘩をしてしまいます。しかし実父とアントワーヌは似ているところがあり、2人ともカッとなりやすく、猟銃を使う趣味・資格を所持しています。

では実父とアントワーヌとの間にどういう差があったのかというところですが、実父は「お前はいっつも何でもかんでも台無しにする!子供たちがお前に会いたがらないのも当然だ!」と言います。おそらく、実父は台無しにする前にブレーキが効く人(最低限の空気は読める)だったんだと思います。

でも見ている限り、この実家の環境でアントワーヌの暴力的な性格がケアできたようには思えません。実父はキレやすいですが、まだ周囲が許容できてフォローできる範囲の「気難しいおっさん」だったんでしょう。しかしアントワーヌがその気難しい父親に自尊心をゴリゴリに削られてきたのであろうというのが分かるのが、実父との大喧嘩の後ジュリアンに問いかけた「俺をバカだと思っているんだろう」という言葉です。

昔から性格上問題があることが判明していたこと、実父も明らかにキレやすい性格をしていたこと、アントワーヌのジュリアンへの態度(無視・詰問)に両親のどちらも適切な助言をしなかったことから、アントワーヌの生育過程における不遇な家庭環境は察せられますし、少なからず自尊心に影響があったであろうことも分かります。

家庭内で父親が力を持った存在(子供に対してジャッジしてくる)であったことや、自尊心が欠けた半生を過ごしたであろうことから、アントワーヌは自尊心に執着があるように見えます(謝罪しない、「お願いしますと言え」等、上の立場に立とうとする)。それを何とかキープしようとした結果、自分の非を認められなかったのかもしれません。

ですが、実父の方は人に対して発砲することは決してありませんでしたし、発砲したという話もありませんでした。アントワーヌが幼少期に攻撃的な性格の実父から受けた悪影響はあるでしょうが、実際に人を撃つか撃たないかには大きな溝があります。

本人は揉めたくないと思っている

恐怖の象徴として描かれるアントワーヌですが、ただのモンスターではないところに妙なリアルさがあるんですよね。先述の通り、自分の父親というポジションに固執して暴力という手段を取るものの、元々は他者を痛めつけることに快感を覚えているタイプではありません。

アントワーヌは基本的には典型的なDV男であり、例えば「お前のせいだ」「お願いしますといえ」「俺をバカにしてるんだろ」「お前はバカだ」「怒らせるとどうなるか思い知らせてやる」「自分は改心した!」といった発言を繰り返します。また、「ママを殴らないで」とジュリアンに言われた時にも「わかった」の口約束すらできないほど攻撃的な思考回路をしています。

ですが、1度だけアントワーヌは涙を見せます。ミリアムの新居の台所で勝手に飲食してから泣くんですが、まさしくその行動は「自分が居場所を失ったこと」「自分がフツーであれば、本来居られたはずの場所」を悲しんでいるのだと思います。

「本当は揉めたくない」と口にするので、「いつも台なしにしてしまう」ことに本人も悩んでいるんですよね。ですが、どうして揉めてしまうのかの原因を理解できていません。おそらく彼の経験した家庭(母親がすべてを受け入れ家庭内の問題を緩衝するべき、子供に対して親は高圧的でよい)のルールを新しい家庭に適用したら、妻子の心が離れてしまったんだと思います。

暴力衝動の大きな原因が「妻子に嫌われて居場所を失い、自尊心が傷ついた」というものであるため、アントワーヌは生まれながらに人の温かみが理解できないモンスタータイプではないと思います(本当にヤバい奴であれば傷つかないし、相手を傷つけることに喜びを覚えます)。もっと早くに精神科医に相談する等、適切にケアしていれば最悪の事態は免れた可能性が高いだけに残念な気持ちになってしまうというのが、この映画の見どころの1つでもあるでしょう。

アントワーヌのカッとなる性格は病の一種の可能性はありますが、そういった性格をもつ人全員が家庭でDVをしているわけではありません。家族の理解を得るのがなかなか難しい病状ではあると思いますが、だからこそ早めに対策をすべきだったのだと思います。

まずこの映画のすごいところは、役者の演技が迫真すぎてマジで怖いところです。

離婚調停の話というのは事前に知っていました。親権云々にジュリアン(法的に自由決定権がない)がどうやって考えていくかという物語かと思っていたのですが、わりと序盤で父親のアントワーヌがクロと判明してしまいましたね。ところどころに出てくる「ほんとに子供のためなのか」がどんどん不穏に具現化していく恐怖はすさまじいものがあります。

父親に関しては初日の土曜日でジュリアンを無視した時に「あれ?こいつ…」って思ったんですけれど、その後の電話の「お願いしますだろ!」で自分は確信しました。でも、これが離婚調停の時には分からないんですよ…!

調停の時点で両親の意見は食い違い、「どっちかがウソを付いている」というのは確定していました。ならば「もし妻側の主張が真実であれば妻子の身が危ない!」というのを優先すればいいのに、と思ってしまうんですけれど、どっちが真実か分からなかった場合、ああするしかなかったんでしょうね。

調停の大きな論点は「夫の暴力傾向が真実かどうか」でした。マジでクソ理論なんですが、とりあえず夫側の主張を認めると真実が露見しやすいんだと思います。

<妻の主張を認める>
もし妻側が嘘をついていた場合、その後の証明は闇のまま。夫側は永続的に損害を受ける。

<夫の主張を認める>

もし夫側が嘘をついていた場合、その後ストーキングなどの事件が起これば嘘かどうか判明する。嘘だと分かった時点で接近禁止などの法的処置が取れる。

だから試験的に夫の主張を認めたような気がするんですよ。法律関係の人はみんな女性だったんですけれど、彼女らは法律を行使するためにいるのであって、奥さんを守るためにいるわけではないという表現だと思います(あえて男性にしなかったのは、男性だから分からないんだという印象を消すためだと思う)

この家庭は娘が18歳ですからそれまではDVがありながらもやり直したりしていたんでしょう(反省、DVを繰り返すというパターン)。でも多分、もう看過できないでかい暴力沙汰があったんでしょうね。あるいは成人年齢になった娘が自立したことにより守る子供が1人になったので動きやすくなり、離婚に踏み切ったとか。

以前家族に何があったのかは分からないし気になるんですけれど、ミリアムが何度も殴られているのはジュリアンの話から確実だと思います。誰か悪いとか環境・原因云々ではなく、「暴力沙汰があったらもう一緒にはおられへんやろ」という1つの線引きがされた状態の家庭として描かれているのかもしれません。

子役の演技が評価されまくっているこの映画ですが(実際、名演技です)、実はすごいリアリティを感じるところはアントワーヌです。詳しくは先述しましたが、「一般的な家庭をもってフツーに幸せになりたい」という理想がおそらく根源にあり、ただの暴力モンスターでないところに悲しみがあるんです。誰かを加害することに喜びがあるんじゃなくて、ただただ妻子持ちというステータスをロストしたくない悲しきモンスターなのがえぐいんですね。

でも理想の家庭って結婚した瞬間手に入るものではないじゃないですか。「結婚はスタート!」ってよく言いますよね。理想の家庭=結婚、つまり結婚したら妻は自分のことを無条件に愛してくれて、子供からは無条件に慕われると思っている甘い目算の男ってそんな珍しいタイプではないんですが(そのタイプは大体家庭で嫁とか実母に怒られたりして痛い目を見ながら学んでいきます)、この映画ではそのタイプの男でかつ病的に感情が爆発しやすいという最悪の組み合わせだったんでしょう。

あとこの映画の演出だと思うんですけれど、ジュリアンの学校生活やジョゼフィーヌの妊娠問題の話が出てこなかったんですよね。特にジョゼフィーヌに関してはあれだけで映画になりそうなテーマなのにノータッチです。それが気になる人も結構いるっぽいんですけれど、自分はあれはわざとにノータッチにしていると思いました。

本来であれば娘の一生に関わるような一大事なんですけれど、家庭が暴力によって直接的に脅かされている今、子供個人(しかも法的には成人)のことを家庭で相談できるほどの余力がないんです。ジュリアンの視点が多い映画でしたが、その点を考慮しても「姉は何でか知らんけどいなくなってしまった」という感覚を持つこともできる演出だなと個人的に感じました(もしかすると尺がなかっただけかもしれんけど)。

でもこの映画でまじで怖いのは、たまに夫側をガチで養護する人がいることです…根拠としてはどうやら妻側に間男がいるみたいな話っぽいですね。確かに妻側には仲良さそうな男がいますが肉体関係があるかどうかは確実ではなく、妻は離婚調停済、かつワンチャン離婚前に不実があったとしても殴っていい理由にはならないです。別件なんですよ。

そもそもこの映画って「妻と夫どっちが悪いでしょう」ではなく「共同親権とDVについて」を描いた話だと思うんで、妻側にそういった悪く見えそうな属性を付けたり、夫側に悲しさをつけたりしたのも故意かもしれませんね。諸々引っくるめて「DVとそれは別件だから」っていう…

蛇足ですが、DV男には結婚前のお付き合いくらいの段階でうっすら分かる所作をしているパターンの奴もいたりします。例えばですが…「物にあたる」「(愚痴などで)暴言を口にする」「あおり運転する」はマジで気をつけた方がいいです。ただ、やばいって違和感をうまいこと隠す奴もいるんだよなあ…

あと劇中でミリアムはもう騙されませんでしたが、DV男って女性殴ったら謝るじゃないですか。あれ信用したら駄目ですよ…!「俺は悔い改めた!もう次からは殴らない!君を悲しませない!愛してるんだ!」は男から見ても絶対嘘だと思う。

これマジで全世界の女性に伝えたいんですが、女性を殴らない男っていうのは初めから女性殴らないんですよ。僕も僕の友達も、彼女や姉妹とどんな修羅場や大喧嘩になったとしても相手を殴ろうと思ったことなんてないし、男同士の諍いですら拳を使おうと思ったことは全くないです。他人とバトルになった時「殴る」ってコマンドがないんですよ。

文中でも述べましたが、DVの悪質な一面の1つは「自分は彼氏・父親・夫である」というステータスが殴っていいかどうかの境界を甘くしているところです。DVしてる奴ってあれ殴る女の子選んでやっとるのが最悪なんですよ。だって、殴ったら通報不可避の会社の事務ちゃんとか電車に乗ってる女子高生とかがいくら嫌なことをしてきたとしても殴りかからないじゃないですか(殴りかかる奴も稀にはいると思いますが…)。

だからこそ、相手のステータスによって境界を甘くしないことが大事なのかもしれません。「ちょっと力加減を間違えただけ」「わざとじゃない、偶然だ」「今のはお前からぶつかりにきた」っていう言い訳に対して「絶対おかしいやろ!」と線引をできるかどうかですね。早い話が、自分のことを大事にしてな!ということです。

『ジュリアン』は共同親権がテーマの1つになっている映画ですが、共同親権は昨今日本でも話題になりましたね。やはり良いのか悪いのか議論があります。

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4月16日、民法改正案が衆議院で可決された。離婚後の親権を父母どちらかに限る「単独親権」を見直し、「共同親権」にできる内容を含む。参議院を経て今国会での成立が見込まれる。この法案について、コラムニストの藤井セイラさんが、可決前の法務委員会で...

自分も詳しいわけではないんですが、個人的なことを言うと今のところ反対かなあと思います…メリットとして「養育費を払う確率が上がる!」「子供への責任感が上がる!」「面会しやすくなる!」っていう話で、「父母が話し合いできるような穏やかな関係性の時しかOKしないよ!」ということではあるらしいんですが、話し合いで別れた穏やかな夫妻ならそんな法律なくたって養育費払うし、子供にも責任感あるし、面会だってさせてもらえるやろ…

そもそも養育費に関するメリットは別口で強制取り立てみたいな法律作ればええだけですしね(スウェーデンとかはそうしてるはず)。その大事なところを「共同親権あるんだからきっと責任感が生まれて払ってくれるはずだよ!」で済まそうとしてるのがなあ…

また、「養育費を払う」「子供に責任を持てる」「子供に会える」「子供の生育に関与する」は全部親側の都合っぽいところも疑問ではあったりします。ジュリアンのように「2週間に1回父親に会いに行かないと駄目だよ!」っていうのは、例え父親と親密であってもしんどいですよね。友達との予定は入れられないし、月に2回も家庭環境が違うお家に行くのって精神的にも負担だし。

でもそれでうまくいっている家庭とかもあると思うんで、一概に「駄目だろ!」とは言えないですね。

ちょっとここでとある作品をご紹介しようと思います。アメリカで大人気になった小説、『イット・エンズ・ウィズ・アス ふたりで終わらせる』という作品です。

これはジュリアンと同じくDVを取り扱った作品です。男側からの暴力がある家庭なんですが、アントワーヌ同様自分でもどうしていいか分からない、制御できない怒りのパワーを持ってしまった男はどうしたらいいのか。そういう男を選んでしまったらどうしたらいいのか。そういう話です。

ちょっと一昔前の少女漫画風な都合のよい展開に「えええ~…」と思うこともあったんですけれど、実はモデルがある話でして、あとがきの体験談を読むと納得いく選択肢だと思えます。

なお、2024.11.22に映画が上映されるらしいです。

映画『ふたりで終わらせる/IT ENDS WITH US』オフィシャルサイト | ソニー・ピクチャーズ
映画『ふたりで終わらせる/IT ENDS WITH US』11月22日(金)全国の映画館で公開

ただ、アントワーヌもこのように幸せや平穏を得られたかというと、残念ながらそれは無理だったでしょう。なんでかというと、この本に出てくる男は家族仲もよく親戚の子供すら愛していますが、アントワーヌは自分の子供ですら愛しているのか微妙だからです。父というポジションに収まりたいだけっぽいんだよなあ。ほんとに愛しているのなら脅したり殴ったり撃ったりしないじゃん。

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