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『アバウト・ア・ボーイ』感想レビュー!38歳無職彼女なしのクズ男と、いじめられっ子の少年の物語

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邦題:アバウト・ア・ボーイ
原題:About a Boy
公開年及び国:アメリカ(2002年)
上映時間:102分
監督:ポール・ワイツ クリス・ワイツ

<キャスト>
ウィル・フリーマン(子供嫌いの無職):ヒュー・グラント
マーカス(ウィルと仲良くなったいじめられっ子):ニコラス・ホルト
フィオナ(心の病を抱えたマーカスの母):トニ・コレット
スージー(美人シングルマザー):ヴィクトリア・スマーフィット
エリー(陽キャの女の子):ナタリア・テナ
レイチェル(美人シングルマザー):レイチェル・ワイズ

<概要>
人生の喜びも愛する人もなく、親の印税で暮らしている無職のウィルはそろそろ四十路。付き合う女性はいつも遊びなので長続きせず、別れ話はいつも女性からの罵倒で終わる。しかし彼はある時、シングルマザーの弱さにつけこむことを覚えた。シングルファザーだと嘘をつき、シングルマザーを口説こうとするウィルだったが、それを看破したのはシングルマザーの息子、マーカスであった。

<こんな人におすすめ>
・物語にリアリティがある方が好き
・親子関係に関する物語を見たい
・ただの「いい子」で終わらない子供の心を知りたい
・主人公に共感を持てるような悪さがあって欲しい

<こんな人にはおすすめしない>
・主人公が目に見えて分かるような大きな成長をしないと嫌
・主人公がクズ男は嫌い
・全ての問題がエンディングまでに片付いて欲しい
・分かりやすい善悪の対立や戦いを見たい

【個人的な評価】

ストーリー
★★★★☆☆☆☆☆☆

画面映え
★★★☆☆☆☆☆☆☆

ユニーク
★★★★★
☆☆☆☆

主人公はクズ男ですが、実は誰もが感じたことのある孤独を抱える存在でもあります。一方で、複雑な子供の心情も描いている映画であるため、「子供の心」を考えさせられます。見せ場の規模は小さいですが、よくも悪くもリアリティを感じる物語です。

【ネットでのおおよその評価】

・空虚な大人が成長する物語
・自分の孤独について考えさせられた
・ヒュー・グラントがハマリ役

・展開に無理やりなところがある
・主人公がクズ過ぎて無理
・少年の母が自分勝手過ぎて無理

ヒュー・グラントの演技の評価が全体的に高いです。しかし主人公や少年の母はキャラ付けが結構濃いため、嫌悪感を抱く場合も。空虚なクズの姿にドン引きするのか、そこに人生の教訓を見出すのかは人それぞれです。

父のクリスマスソングの印税で暮らす無職のウィルは、打ち込む趣味もなく、恋人とも長続きしない空虚な38歳の男。ところがある時、彼はシングルマザーの「都合の良さ」に気付きました。シングルマザーは複雑な事情を抱えた家庭環境であることが多く、ウィルに起因しない理由で別れ話になることがあるため、罪悪感が薄いのです。

それに味をしめたウィルは、なんと自身をシングルファザーだと偽ってシングルペアレンツの集いへ参加し、シングルマザーを口説こうというクズ過ぎるムーブに出ます。ところが、それをマーカス少年に見破られてしまいました。

ここで母親に言いつけられて終わりかと思いきや、マーカス少年は取引を持ちかけます。そして孤独なはずのウィルの家にマーカス少年が出入りし始めるという、不思議な関係が始まるのです。

主人公であるウィルは、非常に保身的な男です。自分の領域を大事にしておりまして、ほぼずっと家に引きこもっており、社会に積極的に参加しておらず、コミュニティに属していません。お金に困っていないので、こうして自分だけの「島」を持つことができるわけです。

現代人からしてみたら、仕事もなく、めんどくさい人間関係にも巻き込まれない、結婚の必要性も感じていない、という生活は悠々自適であり、一種の憧れだと思います。ところが、彼は「心が未熟でだらけていて空っぽ」と色んな女の子に言われてしまうのです。どうして「空っぽ」などと言われてしまうのでしょうか。実は、ウィルには、外から見た「空っぽ」と内から見た「空っぽ」があります。

外から見た空っぽ:大事なものがない(人生における付加価値がない)

女の子達から見たウィルが空っぽに感じられる理由はおそらく、「大事なものがない」ということです。世界中のどんなものにも真剣に向き合ったことがないんですね。何か自負するような能力や夢中になる趣味、愛する人を獲得しようと思ったら外の世界に出ざるを得ず、多少なりとも人間関係とぶち当たります。自分1人の領域にはいられないんです。

ところがウィルは自分の領域から出ることはありませんので、接している世界や物事が浅いんです。実際、趣味といえるものはテレビのクイズ番組を見ることくらいであり、何かに打ち込んだり、何かをこよなく愛したりするという人間味が薄いんですね。付き合っているうちに、その底の浅さをガールフレンドに看破されてしまっているのです。

そして「自分の時間が大事、忙しい」と言いながらも、やっていることはテレビをぼーっと見ているだけ。彼の言う「忙しい」とは状態のことではなく、心のことです。煩わしいことから逃げたい、安全地帯に居たいという保身が、彼を中途半端なだらしない人間にしていくのです。

その結果、ウィルは36年かけて「自分本体」に自慢できるような付加価値(大事なもの)をつけることができませんでした。そして、そんなウィルを大事に思ってくれる人もまた、(自分を含めて)いないのです。

内から見た空っぽ:誰にも必要とされていない(自己効力感が得られない)

自分の領域を大事にするウィルですが、時にはそこから出てくることがあります。恋人を探す時と、ボランティア活動をした時です。1人でいるのが好きなのにそんなことをする理由は、彼自身もまた自分のことを空っぽだと感じているからだと思います。

顕著なのが、ボランティア活動をした時でしょう。その時に言うのが「何か意味がなきゃ」という言葉です。助かる人がいるわけですから、ボランティアすることには当然意味があります。ではどうしてウィルが意味を感じられなかったのかと言うと、おそらく「ボランティア団体ではなく、自分個人が必要とされている!」と感じたかったのだと思います。

つまりウィルは、「誰にも必要とされていない」のです。自分の孤島に閉じこもり、自らを社会から隔絶しているのですから、そもそも自分を必要だと言ってくれる人に出会うことができません。しかも、誰かに最も必要とされやすい「仕事」という人生の営みの1つを捨ててしまっていますから、なおさらです。

ここまでウィルの空っぽについてを述べてきましたが、実は彼の問題は「空っぽであること」だけではありません。ウィルはガールフレンド達の言葉どおり、未熟で自己中心的な考え方を持っているのです。

自己中心的な考え方とは?

最も利己的な一面が分かりやすいのが、先述したシングルファザーと偽ったことですね。ウィルは「シングルマザーは男に対して苦い経験があるから、新しい男(自分)がよく見える」「子供を理由に分かれることがあるので、別れ際に自分のせいにならない」という理由でとんでもない嘘をつきました。

ですが、これに関しては悪意や害意というよりは極端な保身の延長線です(努力せずに自分をよく見せたい、交際が長続きしないのを自分のせいにされたくない)。本当に悪意しかない男なら、女性から振られる時に浴びせられる罵声に毎回ショックを受けたりはしないし、シングルマザーの会で酷い男の話を聞いて落ち込んだり、子供が嫌いなのに無理矢理「かわいいね」と心にもないことを言ったりはしないんですね。善意のさじ加減がすごく微妙にあるんです。

そしてウィルはよくも悪くも小悪党です。悪党として不完全であり、また善人としても不完全です。その不完全さが分かりやすいのが、マーカス少年の辛さを理解して助けてあげようとするものの、自分に火の粉が降りかかりそうになると「やーめた!」と放り出したところです。

そもそもマーカス少年の家庭の問題はウィルには関係ないというのは正論ですから、「マーカスは別に助けてあげる義務ないじゃん!」と感じる人もいると思います。ですが問題の本質はそこではなく、実はウィルがマーカス少年に対して親切にしたその動機が問題なんです。

ウィルがマーカス少年に親切にしてあげて喜びを感じたというのはおそらく、「マーカスが幸せになると思うから嬉しい」ではなく、「自分が必要とされた」という自己効力感に起因しています。その時のセリフが「不幸な子供が幸せになった、嬉しい」なんですよ。「マーカスが幸せになった、嬉しい」じゃなくて。

自己肯定感で浮かれたかと思うと、「親切にしたのに勘違いで罵倒された!もう知らん!」と中途半端に投げ出したわけですね。マーカスのことを本気で保護したいとか幸せになってほしいとかじゃなくて、親切ごっこなんです。ちなみに一連の事件の直前にわざわざ画面アップになって映し出されたテレビ番組は「かわいそうなペットを助けてあげよう」でした。

マーカスはウィルの自尊心を満たすために不幸な生い立ちで苦しんでいるのではありませんから、ウィルはその場にいた皆から「自己中」と言われます。ちょっと分かりづらいけれど、その善意の在り方が未熟なのです。

※ちなみに原作の小説も読んだんですけれど、該当のシーンの内容は全然違います!映画ではダメ男ウィルに焦点が当たっているため自己中で終わるんですけれど、小説ではしっかりマーカスのために色々言ってくれます。

ここまでウィルの抱える問題、大事なものがない(人生における付加価値がない)、誰にも必要とされていない(自己効力感が得られない)、自己中心的な考え方の3つを上げてきました。

ところが、実はウィルの抱える問題は誰しもが陥ってもおかしくないものです。まだ人生の大事なものを見つけられていない人、自己効力感を得られない人、他人に親切にすることで自分の価値を見出そうとする人。ウィルは悪いように描かれていますが、わりと身近な悩みであると思います。

善良な女性を騙す嘘を重ねるため、なかなか共感を得られにくい主人公ではあるのですが、目の前で精神的に苦しんでいる少年を見捨てることができなかったという善良さもあります。根はいい奴なんだろうなというところに、リアルな人間性があるんですね。

そして彼のこの微妙な良心が、彼の生活を変えていくことになるのです。

別に無職であることがいいとか、恋愛が続かないことがいいとかいう話ではないんですが、ウィルの妹は、ウィルの人間性を「無職で恋愛も続かないなんて最低」と述べます。では、仕事があって恋愛さえしていれば幸せなんでしょうか。

妹に対し、ウィルは「目的なんかないよ」といいます。実はそれこそが彼の問題の本質なのです。目的がないというのは、現状維持で構わないということです。つまり、ウィルは誰からも必要とされていない、自分は無価値ではないのかという状況に内心不安を感じているものの、積極的に打開しようとはしていないのです。

ところでこの兄妹の両親の話がちょろっと出てくるのですが、正直家庭というものに夢を持つのが難しい感じの家族です。そのためか、妹は外に自分の居場所としての家庭を求め、兄は家庭というもの自体を拒絶して孤島という居場所にこもっているのだと思います。必死に兄を「一般的な幸せ」というものに馴染ませようとしている妹はおせっかいに見えますが、それは世間の常識を押し付けているというよりは、一つの成功例を提示して兄を救おうとしているのかもしれません。

どういうことかというと、愛する家族を持つこと、仕事を持つことというのはウィルに足りないものを補う上での近道であったからです。

ウィルに足りていないものの1つは「誰かに必要とされること」です。そしてマーカスに必要とされることで初めて大きな自己効力感と喜びを得ましたが、あしながおじさんになっただけでは成長が足りなかった、というのがこの物語のいいところだと思います。

ウィルの場合、必要とされたいのは資産ではなく個人としての人格です。そうであれば、マーカスのことも「かわいそうな子供」ではなく、個人として見つめなければなりません。妹のように愛に溢れた理想的な家庭があれば、たとえ妻子と喧嘩することがあっても個人として頼りにされます。

さらに、ウィルは「大事なものがない」状態でもありました。自分の人生に付加価値がないと感じているのは、自分に何か自負するような努力の結果や、夢中になる趣味・人がいないためです。それを獲得しようと思ったら必ず人間関係に触れざるを得ないため、自分1人の領域にはいられません。

ウィルは一方的に与えられる楽しみ(TV)を漠然と受け取るだけでした。しかし、もし仕事をしていれば何かしらの実績や経歴は自動的に作られますし、同僚や取引先などたくさんの人間関係が押し寄せてきますから、視野が広がります。よしんば働いていなかったとしても、何かの趣味に没頭していれば同じように世界が深まるはずです。

ウィルが孤島で幸せになれないのは「何もしていない」からです。平たく言うと、自分のアイデンティティが構築できないんです。人生の幸せは人間関係が良好か否かである、という有名な研究結果の話がありますが、それは結局「自分というものをどう認識していくか」だと思います。そして、ウィルはそのためのソースが足りないんですね。自己効力感や自分の付加価値を己自身に納得させるためには、その根拠と実績が必要なのです。

ウィルの妹はウィルに一般的でオーソドックスな解決策を教えてくれましたが、この物語は仕事や家庭を持つことがゴールではありません。そんな説教臭い話ではなく、実は仕事や家庭がなかったとしてもウィルは空虚から逃れることが可能だったりします。妹の言う「無職で恋愛も続かないなんて、サイテーよ!」はこの映画で伝えたいことではないのです。

この映画はどうしようもないクズ男ウィルの物語ですが、彼はマーカスといういじめられっ子の少年と出会うことで生活が変わっていきます。マーカスは外見のダサさや奇癖でいじめられており、学校に居場所がありません。その上、シングルマザーであるマーカスの母は心の病を抱えており、そのことがマーカスに強い影響を及ぼしています。

※実はアバウト・ア・ボーイは小説版も読んだのですが、この物語は心の病をかなり詳細に、リアルに描きます。映画よりも、小説版がすごいんですよ…登場人物の1人の遺書が出てくるんですけれど、ゾッとしました…感動じゃないです、あまりにも「ありそう」過ぎてびっくりしたんです。

マーカスは、家ではお母さんの不安定さを案じ、学校ではいじめられ、心の休まる時がありません。いわゆる安全地帯が存在してないんです。学校にいるのは辛いけれど、家に帰るのも苦しいのです。そんな時に出会ったのが、ウィルでした。

大人びた子供であるマーカスは、未熟な大人であるウィルとは対照的です。無力な子供であるものの、彼なりに頑張ります。母には夫が必要だと思い、新しい父親を探そうとしたりするんですね。無力で庇護されるだけの存在ではなく、彼なりに状況を覆そうとします。小学生でもそのくらいの行動力はあるというのが、子供である彼をただのかわいそうな舞台装置にしていないんです。

マーカスについて、すごく印象的なシーンがあります。お母さんが心因性の発作が原因で病院に運ばれたのですが、その場にいたウィルは無責任に「ママは助かるよ!」というお涙頂戴物語に出てきそうなことを言いました。ところが、一般的ないい人を演じようとしているウィルに、マーカスは「(今この場で)助かっても解決じゃないだろ」と吐き捨てるのです。

「ママはきっと助かるよ!」「パパは天国で見守ってくれてると思うよ!」みたいな言葉あるじゃないですか。昔のドラマとかで幼い子供が「うん!」とかいって涙ぐんで頷いたりしているシーンとかわりと既視感強いと思うんですけれど、現実は全部が全部そんなことはないんですね。

これ実際自分もやられたことあるんですが、その場かぎりでテキトーこいてるカッコつけた大人って子供でも分かるんですよ。子供の心を心配しているとかじゃなくて、「かわいそうな子供がいる!きっと大人が慰めてあげたらハッピーになるに違いないから、私が励ましてあげなきゃ!」っていう自己満足の善意は子供でも看破できます。

一大事が起きてしまった時、子供は子供の目で現実を眺めています。マーカスはそれががっつり描かれている大人びた子供なんですね。且つ経験や権限の不足から自分ではどうにもできない問題を抱えてるという、子供独特の無力さがあるんです。そういった、子供のリアルさが描かれているんですね。

ところでこの映画、実は原作とラストが全く違うものになっています。

それが原因でちょっとストーリーの規模が小さくなってしまったところがあるのですが、最後の最後に「マーカスの視点」での苦難をウィルが救う、という展開になっています。マーカスは自身が苦しむことを知りながら、とある決断をしました。絶対に恥をかくし、友達からドン引きされるだろうし、本当はやりたくないようなことです。

一般的に大人というものは、挑戦することや、我慢して努力することがいいことだ!と子供に教えますが、大事なのはそれで子供自身が幸せになるかなんです。それで子供が不幸になるんなら、推し進めたら駄目なんです。子供が何か無理をして挑戦をしていても、大人は「子供が頑張ろうとしている!」「いい経験になるから」と思って止めなかったりするじゃないですか。

でもウィルは違いました。「あいつらは、君を幸せにするのか」と聞いたんですね。ウィルは、良くも悪くも子供じみたところから抜け切れていない大人です。だからこそ、マーカスの本当の気持ちに気づいてくれます。大人の思う「大したことじゃない」が、本当は子供にとって「大変なこと」だと気づいてくれるのです。

子供に焦点が強く当たる映画であると述べましたが、実は原作の小説ではもっと子供が複雑に描かれています。いい子ちゃんではない子供、難しい問題に立ち向かう子供、達観している子供。子供というものが、色んな観点で感じられるかもしれません。

わりと序盤からウィルに対して、「こいつガチでクズやんけ!」と思いましたが、彼は女遊びで女性を傷つける以外では社会的に悪いことはしていないです(それでも十分に悪いことですが)。むしろ、悪意があるというより、元カノに言われた「心が未熟」といった言葉がぴったりなのでしょう。

「罪悪感なく別れられる!」という理由で、嘘をついてまでシングルマザーを狙うという異常さが際立ってしまいますので、すごくクズに見えるし事実クズなんですけれど、人間らしさというものがあるクズです。

例えば、子供が嫌いなのに無理して面倒をみて可愛いと褒めたり、女の子に罵声を浴びせられると動揺してしまったり、男に捨てられたシンママの話を聞いて自分まで落ち込んだり。そういう、悪役にするにしては害意がみみっちいところが人間味を出しているんですね。

序盤でクズムーブをするのでなかなか共感しにくいですが、ウィルの誰からも必要とされていない、大事なものも何もないという悩みは、現代人でもその片鱗を理解できると思います。自己肯定感や自己効力感を感じられない、自分には突出したスキルがないと思っている、というのはわりと多くの人が経験したことのある悩みでもあると思うんですよね。

しかしこの映画のミソは、「ひきこもりで不誠実な男が優しい少年のおかげで正反対の真人間になりました」とか「不幸な少年をお金もちの男があしながおじさんしてあげました」で終わらないところだと思います。綺麗事を言わないのが逆に良いんです。説教臭くなくて。

ただ、それ故に主人公がいまいち大きな成長をしているようには見えないのが一般受けしないかもしれませんね。特に女性関係のだらしなさ(シングルマザーを狙うわりに連れ子に関心がない)というウィルの中でひときわ目立つクズな一面が変わらないので、褒め称えたいヒーローにはならないと思います。

でも自分が1番気になったのは、クライマックスの規模でした。リアリティをもとめた結果、物語のスケールが小さくなっている気がするんです。ウィルがもっと大悪党ならもっと問題がおきたし、クライマックスもあんなでは済まなかったでしょう。マーカスがもっと学校で深刻ないじめに巻き込まれていたら、物語はまた別のものになったかもしれません。勿論個人的な感覚ですが、パンチが足りないと感じてしまいました…

また、時折展開が唐突なところがあったりもして「無理やり詰め込んでない?」という流れもあるのですが、どうやら原作にしたがって登場人物を出そうとした結果、色んなことが説明不足になったり、いきなりの展開になったりしたようです。小説版読んでやっと分かったわ!というところがあったりします。

ですが、この映画で1番はっとさせられたのは子供の描き方だと思います。ただのか弱い庇護対象ではない、強さもずる賢さも悲しみも持った1人の人間であると深く感じられるんです。子供は子供の視界で、きちんと自分なりに世界を捉えて、懸命に問題をどうにかしようとしているのだというのが伝わるんです。

別にマーカスが特別ということではなく、実際子供は大人が思っているよりもずっと賢いです。ずっと物事を深く考えています。そして、きちんと決断することだってできます。それを見せてくれた点に関しては個人的にものすごく評価しています!それ故に小説版も買ってしまったのですが、小説版がだいぶおもしろかったので買って大正解でしたね!(小説版については、↓のコラムでもちょろっとご紹介しています)

この映画は大人が見ると「子供って思っていたよりもずっと物事を考えているんだ」と感心してしまうと同時に、「大人が勝手に考える幸せと、子供の感じる幸せって違う」と、はっとさせられたりします。

ではこの映画、子供が見れば大人達をどう感じるのでしょうね(笑)。分かりやすい盛り上がりとか、主人公の明らかな成長とかがないので、あんまり面白くない映画かもしれませんが、聞いてみたい気がします。

『アバウト・ア・ボーイ』は、小説版がかなりおすすめです。映画はどうしても限られた時間内に収める都合上、人物を深く表現したりすることが難しいのですが、小説ではたっぷりと人物の思いが描かれています。

なお、小説版のウィルも大要は映画版と変わらないのですが、ちょっと心の成長が遅いためか「マジでクズだなこいつ!」というシーンがしばしばあります。つまらない日常に刺激を与えたいがためにフィオナとマーカスの生活に踏み入り「暇つぶしに親切ごっこしようとした」とはっきり書いてありますし、マーカスに頼られており彼が支えを必要だと知りながら「マーカスの悲惨な人生に巻き込まれたくない」とフツーに考えています(最終的にはなんとかしてやらねばと思っています)。

ただ、行動はカスで他人を利用価値で考えたりするところもあるんですけれど、ウィルは悲惨な家庭で育ったため、子供に対して何をしてあげなければいけないかが分かっているんですね。フィオナが把握できていないマーカスの本当の心を分かってくれていたんです。また、マーカスは辛い状況下にいるものの、弱虫ではないのだと教えることができたのもウィルだけでした。

そして小説版はウィルよりもマーカスにかなり焦点が当たっており、彼の抱えたたくさんの問題がより深刻に描かれます。母親の極端な教育方針、頼りにならない先生、友達のいない学校、そして母親の心の病。とある事件をきっかけに、家も学校も安全地帯じゃなくなってしまうんですよね…

でも彼なりに母親の喜ぶことをしようと、母親の愚痴を肯定したり、明るい映画を見せたり、夫を探そうとしたり、苦難の中で懸命に生きます。ですが、彼はただのかわいそうな子供ではありません。打算したりもしますし、感情が爆発することもあるし、超えてはいけない一線を確実に理解していますし、時には大人にキツイことも言います。

また、小説版では色んな人の悩みや辛い境遇などが描かれますが、心の病の描写が非常にリアリティを持ちます。先述のとおり、出てくる遺書がものすごく的確なんです。ほんとにありそうっていう恐怖を感じました。お涙頂戴の感動的なことなんて書いてなくて、「この人は本当にいなくなってしまうんやな」という、手の届かなさを覚えるんです。

ところで、物語にはエリーちゃんというギャルが出てきます。この子のことはもっと映画で掘り下げて欲しかった!と思うようなすごい子です。

彼女は映画ではイケてるグループにいるギャル程度の感じだったんですけれど、実はもっと怖いんですね。オタクに優しいギャルとかそんなレベルじゃなくて、所謂スクールカーストの上位です。平気で人をぶん殴るとか、街で器物損壊するとか、警察呼ばれるとか、もうそのレベルの不良です。学校の子は男の子ですら道を開けるとかいう感じなんです。

こんな子とマーカスが仲良くなっていくので、すごい面白いんですけれどね。小説版。しかも彼女は大事なことを教えてくれるメインキャラの1人であり、マーカスの成長にとても影響している女の子なんですよ。映画であんまりたくさん出なかったの残念でした。

ですが、やはり物語のメインはダメ男ウィルと大人びたマーカス少年の不思議な絆です。都合よく遊びたい(妻子に愛情がない)ウィルと、都合よく父になってほしいマーカス(父への愛情はない)のやり取りなど、なかなか面白かったりします。

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